短 歌
父よ還れ雷鳴とどろく夜を越え玄海灘へ友待つ国へ
医師いわく意識なき父涙する「人生の並木道」歌えば
十一で渡りし国に逝きしとも父はかえらん 海渡る蝶
ふるさとは記憶の中に今も在るちちはは祖父母温突(オンドル)のへや
歌集『サラン』(2005年)より
「りぼん」の子歌謡曲の子筑豊の子昭和の子なり在日われは
月に銀ありとNASA言う萩揺るる源氏絵巻の秋の夜の庭
父祖の地におばあさんの花(ハルモニコッ)と呼ばれいるその白ここに翁草咲く
在日の百年の中八十年を生きてわがやの正月の祭祀(チェサ)
歌集『百年の祭祀(チェサ)』(2012年)より
人はゆき人は来たりぬただ海のありて国家のなかりし伊都に
渡来してもうすっかりと土地の顔なんじゃもんじゃのなにげなき白
あな妖しその名は胎夢(テモン)身ごもれるおみなの家に降りくる夢は
浜いっぱいのあさり拾える夢を二度見て女子(おみなご)を二度産みし姉
わかめちゃんカット昔は<乙女刈り>炭坑の散髪屋に通いぬ
あっ、お父さんが帰ってきたと夕どきの車の音を聞き分け外(と)に出ぬ
微粉炭オート三輪で運びつつ子をみかけては十円くるる父
父がうち出て別宅に住むまでの記憶明るしりんごのスモック
うすうすとなんじゃもんじゃのなにげない白が笑うよ笑えば福が来る(ウスミョンポギワヨ)
夢枕みまかりし祖母のみつめいるその母国語のわからぬわれを
わからんと言えば悲しき眼(まなこ)して祖母(ハンメ)よ祖母立ち去りてゆく
その姿うっとり見ればこの胸に青は広がるおはよう三郡山
市民税県民税の通知くるわが誕生日ある六月は
コンビニのドア横にあり「一分で大切なことを伝える技術」
方舟に何を乗せるか考える時間が要るので今日休みます
ソウルは晴れ釜山は曇り福岡のローカル局の予報のはじっこ
タンポポでタイヤをつくると聞きし朝タケコプターを思(も)いつつ歩く
赤てのごいお二人見かけて六月の朝(あした)何やらいいことあるべし
合同集『かりんZONTAG』第3号(2014年)より
-飯塚市歴史資料館
資料館の奥なる部屋に甕棺は立つあり横に置かるるもあり
抱き合いてひとつの甕に入りましょうそう契りてし二人もありや
穂浪郡(ほなみごおり)嘉麻郡(かまのこおり)すなわち稲と鎌 もみを抱(いだ)きて渡り来たれり
青と碧弥生人好みし色なりと聴きおり窓に海はきらめく
可也山(かやさん)はやさしきラインふるさとの国の名つけし人らのありき
十一の男の子(おのこ)のごとき矜持もて田に光る二十センチの稲は
トラジ茶の香り清(すが)しも山中に白き桔梗(トラジ)を摘みし少女(おとめ)ら
まっすぐな雨の降る日の縁側よ思惟のかたちに腰かける猫
先生と呼ばるる猫は昼寝する柔き内側放恣に見せて
日本語を話せぬままに祖母逝きぬ故国の医師のいる病院に
祖母の爪切ればアリガトウと言い巾着から五十円をくれたり
出棺の祖母の茶碗を玄関の前に割りたり一世の同胞
母さんにはぐれて走る子のような風が私も泣かそうとする
放送の自粛となりし時のごと「イムジン河」を鳥渡るらん
僕は君のことが心配でたまらないカフェで私にそう言うペッパー
なにゆえにそのような朱を見せるのか私は泣かん泣かんよ夕焼け
無窮花(ムグンファ)の非暴力主義しらしらとわたくしもまたあかときは咲く
朝(あした)この佳きもの鳥はハナミズキに鳴くわたくしに未来あるごと
合同作品集『かりんZONTAG』第4号(2019年)より