小中英之歌集『わがからんどりえ』
蛍田てふ駅に降りたち一分の間にみたざる虹とあひたり
『わがからんどりえ』は小中英之の第一歌集です。
先日記事にした高野公彦の『汽水の光」』と同じく
角川書店の新鋭歌人叢書の一冊として
1979年3月3日に出版されました。
今回、その初版本を読む機会に恵まれました。
歌集中に小中英之の師である安藤次男が書いた「小中英之の歌」があり、
そこにはこう書かれています。
吾家に現れた英之に、私は、何のために歌を作るのかと問うてみた。
答は、鎮魂のため、季節のため、それから面白い言葉や地名の一つにも
せめて出会いたいためだ、と即座に返ってきた。言やよし、これはたいそう
私の気に入った。ことは詩一般ではなく、盛るべき器あってのことであるから、
歌人なら誰でもこういうふうに普段の考を整理するというわけにはゆかない。
鎮魂云々はともかく、後の二つについては、日常即事を詠む風になじんだ現代
の歌人には、なかなかこれは肯えぬのではないか。むろん、概念の砦に立籠っ
てひたすら内面凝視に泥んでいても、こういうことは言えぬ。これらの歌の佳さ
は、虚実相聞く感覚の追間に、ときに荒くときに穏かな呼吸の自然にのせて、
粘りのある調べを作り出したところにある。そこに、英之の言う季節のうつろい
や片々たる物の名が深く関わっている、ということを私は言いたい。
「これらの歌の佳さ」と挙げている四首の一首目が、冒頭の蛍田の歌です。
ところが、この小中英之の代表作といえるうたは『わがからんどりえ』には入って
おらず、歌集『翼鏡』に収録されました。
『わがからんどりえ』には1971(昭和46)年から1975(昭和50)年にかけての作品が
まとめられており、蛍田のうたは「角川短歌」1976(昭和51)年9月号に発表された
ものだからです。
安藤次男の文章にあるように、小中英之がまさしく蛍田という地名と出会って
生まれた名歌です。
次に、『わがからんどりえ』から幾首かあげます。
「からんどりえ」とはフランス語で暦のことです。
風光るうつつを沢に独活の芽はいまだ未生の神かもしれず
ひとときの食欲に嚙むアフリカの木の実落せし黒き手おもふ
幻聴にくわくこう一こゑ哀しみのはてなほ森にひかり溢れて
おもひでの友とはいへど朴の花匂へる闇ゆこゑのきこえず
緑陰は慈母のごとしもゆるぎなく人はまどろみ影を失ふ
逝きてなほわが終身の友なればきさらぎ白きほほゑみに顕つ
身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひとたば草上に燃す