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梅花の宴の背景


万葉集の講座を受講して、3年目になります。

先生は大学教授で万葉集の専門家。

特に山上憶良については大著を世に出しておられます。

ちなみに、先生の先生は、今たいへん注目を集めている中西進先生です。

私が山上憶良のことを勉強したい、と思ったのは

中西進先生のご著書がきっかけでした。

その後、たまたま現在の先生の憶良に関する一日講座をお聴きして

ぜひこちらの先生の講座を受けたいと思い、

その願いがかなって今に至ります。

現在の先生が中西進先生のお弟子さんであることにもご縁を感じます。

講座では、「梅花の歌三十二首あわせて序」は二年前にすでに学んでいて

いまは憶良の作品を読み進めているところです。

けれども、

去る1日に、万葉集を勉強している人々にとっては「事件」とも呼びたいような

新元号の発表がありましたので

それを受けて、本日の講座は急遽

「令和」の典拠となった序文や

梅の花のうたが詠まれた梅花の宴が開かれた背景、

そして序文の下敷きになっている中国の王義之の「蘭亭叙」や

同じく中国の古典「帰田賦」のお話がありました。

一度勉強したことですが

もう一度、さらにくわしくうかがったことによって

理解が深められました。

梅花の宴が開かれた背景とは

ご承知のように「長屋王の変」です。

九州中の国司が集められたお正月の大宰府。

(旧暦では現在の2月ごろがお正月になりますね)

国司たちにとっては

中央で起きた政変は遠いところのできごとではありません。

当時の内政や外交の状況を知ると

梅花の歌とその序文に込められた思いが

ただのんびりと花を愛でているというものでないことがわかります。

この梅花の宴に憶良も筑前国司として加わっていたことは

申すまでもありません。


 
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