大野英子歌集『甘藍の扉』
大野英子さんの第一歌集『甘藍の扉』(かんらんのと)が上梓されました。
(柊書房 2019年9月5日発行 2,300円+税)
「甘藍」とは、キャベツのこと。
大野さんの所属する結社「コスモス短歌会」(コスモス)の
代表である高野公彦さんが帯文を書いておられますのでご紹介します。
「歌人である両親のもとで育った大野英子さんは、
歌を詠む微妙な呼吸を知っている。
職場である百貨店の歌、休日に草木と親しむ歌、
父を介護する歌、そして母を介護する歌など、
人生のさまざまな場面を、丁寧に、リアルに詠んでいる。
この初めての歌集は、生きる苦悩と、折ふしの解放感と、
そして深い二つの悲しみの淵を湛えた渾身の歌集である。
高野公彦」
お父さまとお母さまの介護、
そしてご両親それぞれを看取られた折のうたの数々は
今年の8月に母を亡くした私にも迫るものがありました。
同時に、私の印象に強く残ったのは、仕事のうたです。
デパートの売り場という華やかな表とは対照的な
その裏を詠んだものが
そのコンラストの強さゆえか、
印象的な作品となっています。
その仕事のうたを中心に、
『甘藍の扉』より幾首かご紹介いたします。
辞令より先に名刺が出来上り差し出されたりわが知らぬわれ
猫を抱くやうにつり銭袋抱き混み合ふ店内ゆく社員をり
「ばあちゃんはさびしかとよ」と口癖に言ひゐし客を近頃は見ず
靴売り場の社員トイレの走り書きダレカクツヲカッテクダサイ
田中さん、さんちやん、ウッシー、野良猫に名付けて歩く春の休日
寄り処なき夜はハチミツ石鹸の泡につつまれ花野さまよふ
開店に入り来る客の波過ぎてのちに聞こゆる老いの杖おと
秋の夜長を楽しみに買ふ椅子ふたつ星見る椅子と読書する椅子
やはらかき甘藍の扉をひらいてもひらいてもひらいても父ゐず
父のこと思ひ出すたび泣き出して泣き止みてもう忘れゆく母
一首目(辞令より…)、個人の意思は反映されない組織というもの。
二首目(猫を抱く…)、どちらも大事なものだけれど、
猫はやわらかく温く、つり銭袋は冷たく硬い。
三首目(「ばあちやんは…)、高齢の顧客の近況を案じる。
さびしいから、誰かと話したくて、誰かに大事に扱われたくて
買い物に来ていたのだろうか。
四首目(靴売り場の…)、売り上げ目標のノルマがあるのだろうか。
悲鳴のような走り書き。
五首目(田中さん…)、上の句までは
野良猫をお世話している人たちのことかと思いきや、
下の句でそれらは野良猫の名前だとわかる。
野良猫に名前をつけてそっと見守るうたは他の歌人にもあるが
この一首は「田中さん」がきいている。
六首目(寄り処なき…)、ハチミツ石鹸のほの甘いやさしい香り。
「ハチミツ」と「花野」が響き合う。
七首目(開店に…)、開店と同時にどっと入ってくる人たちの足音ではなく
その人たちに遅れて入る人の杖の音。
「足音」ではなく、「杖音」がゆっくり響く。
八首目(秋の夜長を…)、星を見る時間と読書を大切にしているのだ。
九首目(やはらかき…)、歌集のタイトルとなった作品。
あとがきに、
キャベツの千切りを作るたびに父の笑顔がよみがえるせつなさを詠んだ一首、
とあります。
「ひらいてもひらいてもひらいても」、
この印象的なリフレインは
キャベツの幾重にも重なった葉を思わせ、
ひらがなでの表記は
その葉の柔らかさを感じさせます。
キャベツの葉をはがしてゆくことを
「扉(と)」をひらくと表現している上の句、
キャベツを表す「甘藍」の「かんらん」という音が
私には扉を「カラン」と開ける音にも重なって聞こえます。
このように、上の句にも下の句にも
異なった「重なり」を感じて、
それが、あとがきにある
「キャベツの千切りをつくるたびに」
という状況へつながってゆきます。
十首目(父のこと…)、こちらもせつないうたです。