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【筑豊と短歌】1-ゆかり深し

  • momosaran
  • 4 日前
  • 読了時間: 1分

更新日:2 日前

<2025年12月22日>


短歌の活動をどこでおこなうか。


わたしの場合、はじめは(そして長いこと)


全国紙の投稿欄(朝日新聞の朝日歌壇)でした。


そこから東京へ。


そして福岡市と九州各地へと広がりました。


地元・筑豊での活動は2015年から。


それをきっかけに、


飯塚市(筑豊)と短歌の関わりにしっかり目を向けてみると —。



そこは知っていた以上に短歌に縁の深いところでした。


まず、万葉の時代に嘉摩郡(今の嘉麻市)で


嘉摩三部作を撰定した山上憶良。


幕末の歌人、大隈言道は


飯塚の宝月楼に滞在して商人たちに長くうたを指導しました。


近代では炭坑王伊藤伝右衛門の妻として飯塚で10年を過ごし、


筑紫の女王とうたわれた柳原白蓮がいます。


そして、戦後のサークル運動が盛んだった時期に


炭坑の文芸サークル誌に短歌を発表した人々は


炭坑歌人と呼ばれました。


その代表的な人物が古河目尾坑の山本詞(やまもとつぐる)です。


(続く)

 
 
 

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