エッセイ 「炭坑の両班(ヤンバン)」
昨年12月の記事「50回目の心(マウム)」に書いたように
福岡韓国教育院のニュースレター「心(マウム)」にエッセイを連載しています。
きのう、最新号(55号)が教育院のホームページにアップされました。
今回は「炭坑の両班(ヤンバン)」と題して、筑豊の炭坑で使われた
韓国語について書いています。
先の戦争中も、そして戦後も炭坑で働く人々からヤンバンと呼ばれたのは
はたしてどのような人物だったのか。
このことを知ったのは、1950-60年代初めに筑豊の炭坑で働きながら
短歌を詠んだ山本詞(やまもとつぐる・1930~1962)のことを調べ始めたのが
きっかけでした。
彼は1962年の1月に石田比呂志(1930~2011)らと歌誌「牙」を創刊し、
まさにこれからのときに、同年3月、坑内での炭車事故により亡くなります。
享年32歳でした。
彼の手紙から、病弱な6年越しの恋人との結婚にも踏み切ろうとしていたことが
うかがえます。
奇しくも、盟友石田比呂志の自伝『片雲の風』にも、13歳で筑豊炭田の炭坑に
動員された当時の記述に「ヤンバン」が登場します。
トップページの「お知らせ」欄から福岡韓国教育院ニュースレターを
読めるようにしておりますので、よろしければお読みくださいませ。