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長崎🌼乙女の寮のものがたり①

  • momosaran
  • 2017年6月30日
  • 読了時間: 3分

蛍茶屋ゆきの市電を鳴滝で降りてゆるゆる上れば母校

                        キム・英子・ヨンジャ 『百年の祭祀(チェサ)』

「長崎、LOVE🏠」の記事に書いたように、

私は18歳から20歳までを長崎で過ごしました。

長崎駅を降りると「蛍茶屋」という美しい名前の町に向かう市電に乗ります。

長崎くんちで有名な諏訪神社の前や市公会堂前を通って

「鳴滝」という停車場で降りてから5分ほど坂をのぼったところに

私の入学した短大はありました。

県外から進学してみると、その学校は長崎の人々から

「ケンタン」と呼ばれて親しまれていました。

初めて親元を離れた2年間を過ごしたのは学校の寮です。

短大からさらに7分ほど坂を上ったところにあった「鳴滝寮」。

そこには、厳しくもあたたかい寮監先生と160名ほどの女子学生が

厳しい規則のもとにあってもコロコロと笑いながら暮らしていました。

先日、朝のドラマ「ひよっこ」に出てきた工場の女子寮、その名も「乙女寮」を

なつかしさ全開で見ていると、学生時代の友人から便りがありました。

「鳴滝寮」で出会った友人です。

「ひよっこ」の乙女寮の時代設定は確か1965年(昭和40年)。

私たちが寮生活を送ったのは1979~1981年(昭和54~56年)なので

15年ほど時代が下るのですが、

私たちは鳴滝寮で乙女寮と同じような生活をしていたのです。

何しろ、週直室で昭和30年代の週直日誌を読んだ時に驚いたのは

そこに書かれた生活が自分たちのそれと同じだったことです。

昭和55年前後の長崎で、そこは昭和30年代の暮らしかたでした。

たとえば、冬、お部屋の暖房器具は火鉢でした…。

長崎はめったに雪は降らないというけれど、

私たちが入学した年の冬は寒くて、何度も雪が積もりました。

でも、ストーブがあるのは食堂(と寮監先生のお部屋)だけで、

学生の居室(6人部屋と4人部屋がありました)には火鉢ひとつがあるだけ。

それも午後9時には火を落とす決まりになっていました。

「ひよっこ」の乙女寮のシーンでは廊下に規則が貼られていて

その一つが「部屋では火気厳禁」だったそうですが

鳴滝寮では火鉢はあるものの、

コンセントを使うことが禁止だったのでドライヤーも使えないのです。

かぐや姫の「神田川」の歌詞ではないけれど、

冬、火の気のない部屋で洗い髪は芯まで冷えて、

寒い。とにかく寒いのです。

けれども学生たちは自分たちなりに工夫して

コロコロと笑いつつ、悩みつつ、寮生活を楽しんでいました。

私の第二歌集『百年の祭祀』には

そんな寮生活のことを詠んだ一連「鳴滝」を収録しています。

この一連と当時の生活を何回かに分けてご紹介してまいります。


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