すごいです!筑豊の古代
今月18日、「遠賀川流域の古墳文化と社会」と題した講演会が行われました。
テーマはかたいのですが
時にくだけた表現も使って、なじみやすくわかりやい講演会でした。
びっくりするお話も聴けました。
飯塚市で今春から1年間にわたって行われている連続講座
「古代から未来のトビラを拓くー遠賀川の古代文化と邪馬台国―」。
その一環として、今月18日、イイヅカコミュニティーセンターテーマにおいて
上記のテーマで開催されたのは
松浦宇哲(まつうら・たかあき)さん(嘉麻市教育委員会生涯学習課文化財係長)
の講演会です。
講演の後、連続講座のコーディネーターである考古学者の高島忠平さんと
西日本新聞筑豊総局長の西村隆幸さんとの討論がおこなわれました。
今年度の連続講座では邪馬台国がテーマとなっていますが
今回はそこから少し離れて、
古代にこのあたりでどのような暮らしと文化があったのかというお話。
3世紀後半から7世紀にかけての古墳時代について
★「雄略朝」期の遠賀川流域
*雄略大王と遠賀川流域の古墳
*朝鮮半島(韓半島)と遠賀川流域
★「筑紫君磐井の乱」前後の遠賀川流域
*携帯大王と遠賀川流域の古墳
*屯倉(ミヤケ)と横穴墓
などのお話がありました。
たいへん興味深い内容が続いて、
3時間のあいだ時間を気にすることもありませんでした。
特に印象に残ったのはふたつ。
ミヤケは従来ヤマト政権に支配された地域という印象がありますが
実際は、ヤマト王権が利益を摂取はするけれども
地元にも利益があり、王権に貢献した論功行賞の意味合いもあったこと。
そして、山の神古墳からの出土品です。
こちらからは渡来系の文物が多く出ていて
特にこの時代にたいへん重要だったものが多く埋葬されていたそうです。
なんと、そうした古墳は日本ではこちだけだというのです。
山の神古墳のことはほんの少し読んでいてて気になっていたので
今回そのお話が聴けて嬉しかったです。
飯塚市では筑豊全体を視野に入れて数年前から
「発掘(ほる)ばい💛九州古代ヘリテージ」という企画が実施されてきました。
ご縁をいただいて、そちらの実行委員会におじゃまするようになってから
筑豊の考古学ファン、古代史を熱く語るかたがたとお知り合いになりました。
私は古代史にくわしくないので(高校生の時は郷土部だったのに)
そうかー、そんなにすごいんですかー、という感じだったのですが
今回の講演をお聴きして、ほんとうにびっくり!
私もそのうち熱く語りだすかもしれません(=^∸^=)