杉田久女と英彦山と小倉鉄道
花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ
足袋つぐやノラともならず教師妻
谺して山ほととぎすほしいまま
仮に杉田久女の名を知らないかたがあったとしても
上記のような代表句を一度は見聞きされていることでしょう。
杉田久女(明治23〈1890〉年生まれ)は鹿児島県出身。
夫・杉田宇内が旧制小倉中学校の美術教師となったため、
旧小倉市(現・北九州市)へ移り住みました。
俳誌「ホトトギス」に投稿を始めて高浜虚子に認められ、
昭和9(1934)年には「ホトトギス」同人に推挙されて
「東の(長谷川)かな女、西の久女」と称される活躍を見せます。
その後、師の虚子より突然の除名処分を受けるというできごとがありました。
代表作の「谺して山ほととぎすほしいまま」は英彦山を詠んだものです。
久女は頻繁にこの霊峰に通っていたといいます。
近畿大学産業理工学部(飯塚市)の
研究報告誌「かやのもり」最新号(30号)に
「攀じ登った俳人~杉田久女と英彦山と小倉鉄道~」が発表されました。
「かやのもり」誌には毎号、〈ふるさと研究〉として
筑豊地域研究会の会員の文章が掲載されます。
前号(29号)には私が「いのちの歌~炭坑に生きた歌人・山本詞~」
を執筆しています。
そして今回掲載されたのが、
同研究会の英彦山と久女調査班による上記の文章です。
今年から同研究会は筑豊北九州地域研究会に改称されました。
筑豊と北九州、どちらにもゆかりの深い久女がテーマとなったのは
ちょうど良いタイミングでした。
久女の生涯を、
彼女が足繁く通った英彦山と、
かつて北九州と筑豊を結んだ小倉鉄道、
この二つを通して描いた力作です。
「かやのもり」掲載の論文はインターネットで公開されますので
こちらの文章もウェブ上で読めるようになるものと思います。