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「戦後のヤマに生まれた『大峰俳句』の十年」

  • momosaran
  • 2022年3月3日
  • 読了時間: 2分

<2022年3月3日>


私の住む福岡県飯塚市には近畿大学産業理工学部があります。


「かやのもり」は同学部の研究報告誌です。


(タイトルは学部所在地(飯塚市柏の森)からつけられたものでしょう)


筑豊地域研究会は郷土・筑豊に関する研究や調査をおこなう有志の集まりで


同会会員による研究報告が


ふるさと研究として「かやのもり」に掲載されます。


(現在は筑豊・北九州地域研究会に改称されました)


私も5年ほど前、


ひょんなことから会員になり


「かやのもり」第28号(2018年6月発行)に


「いのちの歌~炭坑に生きた歌人・山本詞~」を執筆しました。


そして、同誌の最新号(第32号・2021年発行)には


「戦後のヤマに生まれた『大峰俳句』の十年」が掲載されています。


共同執筆者は筑豊・北九州地域研究会の


糸瀬勝彦さん、宮島玲子さん、末永裕貴さん、久門守さん。


かつて福岡県の筑豊地方が日本を代表する産炭地であったことは有名ですね。


大小数えきれないほどの炭坑があったわけですが


筑豊の田川に大手である古河鉱業の大峰鉱業所がありました。


そこでおこなわれていたのが「大峰俳句会」です。


会社とそこに働く人がつくる「文化会」のひとつとして俳句部があり、


毎月句会を催していました。


そこには労使ともに集まり、職種や住んでいるところもさまざまだったといいます。


「大峰俳句」はその句会の句会報で


「俳句はそろって素人」と述べる共同執筆者たちが


創刊号(昭和23年2月発行)から終刊の82号(昭和32年4月)まで


十年間の「大峰俳句」を読み


炭坑に関わる個人の体験をからめた文章とともに


そこに掲載された俳句を紹介したのが


「戦後のヤマに生まれた『大峰俳句』の十年」です。


当時のボタ山で遊ぶ子どもたちなどの写真も載っています。


紹介されている俳句の中からいくつか記しますね。



 新婚の坑夫朝から秋刀魚焼く       一人静   昭和29年



 昇坑(あがり)たばこ匂ふ春雨傘の中   四緋    昭和32年



 トラックを追うて走る子秋山路        樺川    昭和24年




「かやのもり」はインターネット上で公開されています。


「戦後のヤマに生まれた『大峰俳句』の十年」もご覧になれますので


ご関心をおもちのかたはご覧ください。   




 
 
 

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