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『紫の梅』④-看病する白蓮さん


世にいう「白蓮事件」から二年後、関東大震災をきっかけとして

ようやく白蓮さんは宮崎家で夫の龍介と愛息の香織、姑の槌子と暮らし始めます。

その頃龍介は結核で臥せっていました。

そのため白蓮さんは文筆で経済的に一家を支えました。

家事と育児は姑に担当してもらったといいます

(『柳原白蓮-燁子の生涯- 時代を力強く生きた女性』 阿賀佐圭子著)。

文筆活動に注力する一方、夫の龍介の看病にもあたっています。

『紫の梅』には「看護日誌」と題された十六首からなる一連があります。

     みとりすれば離れ小島にある心地淋しけれども心足らへる

     人ありて心うれしくひとありて心かなしきこれやひと妻

     外に出て見むかなどいふたはむれも病む人のいへば心勇むかな

     氷わるその手ぬくめて大なる瀬戸の火鉢をかい抱きけり

一首目。後ろ盾を失い、龍介の病状への心配や経済的な事情をかかえながらも

ようやく龍介と、そして親子で一つ屋根の下に暮らすという願いがかなったのです。

二首目。最初の結婚や伊藤伝右衛門との生活では感じることのなかった、

妻としての思いです。

三首目。今日は具合も良いし天気もよいからちょっと外に出てみようか。

そんなことを龍介が言えば、回復の日を思って嬉しくなるのでしょう。

四首目。看病のようすが伝わってきます。

氷嚢に入れるために冰を割ったのでしょう。

しびれるほどに冷たくなった両手を火鉢にあてて温めています。


 
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