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「邪馬台国と東夷伝の世界」


考古学の西谷正先生(九州大学名誉教授・海の道むなかた館 館長)といえば、

ご存じの方も多いでしょう。

今年 沖ノ島や宗像大社などがひとつのまとまりとして世界遺産に登録されましたが

登録に向けて尽力してこられたかたでもいらっしゃいますね。

十年近く前になりましょうか、先生の講演を拝聴して

目の前が さーっと開けるような感覚になりました。

これまで、ポツンポツンと点でしかなった歴史の知識が

東アジアの考古学がご専門の先生がわかりやすくお話しになるのをうかがって

すーっとつながっていきました。

それから幾度か先生のご講演に足を運びました。

今年度 飯塚市で開催されている連続講座

「古代から未来のトビラを拓くー遠賀川の古代文化と邪馬台国ー」。

第3回フォーラムは「邪馬台国と東夷伝の世界」をテーマとして

昨日 イイヅカコスモスコモンにおいて開催されました。

こちらの連続講座はこれまでも参加してしますが

今回は西谷先生がご登壇なさるので 楽しみにしていました。

もうおひとりのご講演は関和彦氏(日本地名研究所 所長)です。

邪馬台国畿内説の西谷先生と、九州説の関和彦さん。

おふたかたの講演の後、コーディネーターの高島忠平氏(考古学者)と

西日本新聞の西村隆幸筑豊総局長が加わって

パネルディスカッションがおこなわれました。

西谷先生の講演では、

そもそも邪馬台国や卑弥呼のことが記された東夷伝の倭人の条

(『三国志』魏書東夷伝の倭人の条=魏志倭人伝)が

どんな意図で書かれたかを踏まえるべきということから

魏は北方の脅威と蜀や呉に対抗するため倭と手を結ぼうとしたというお話などが

ありました。

関和彦さんの講演では、地名と自然との関わりについての説明などもありました。

たとえば、次のように。

   斯馬国・・・島

   奴国  ・・・野

   伊都国・・・津

   不彌国・・・海

この、東夷伝倭人の条(魏志倭人伝)に出てくる不彌国(ふみこく)について

連続講座でもこれまで遠賀川流域にあったとする説と

地名などから現在の糟屋郡宇美町(うみまち)とする説をうかがいました。

パネルディスカッションで西谷先生はこのことを質問されて

現在の飯塚市や嘉麻市に国があったことはまちがいないが

不彌国は現在の宇美町にあったと考えると述べられました。

また、不彌国については関和彦さんから

東夷伝のうちの韓伝にもまったく同じ名前の不彌国が記載されているという

ご指摘がありました。(韓=当時 韓半島南部にあり、七十四国からなる)

フォーラムは13時半から始まり、17時に終了しました。

帰り際に西谷先生にひさしぶりに直接ご挨拶できて、嬉しい気持ちで帰りました。


 
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