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上野朱さんが語る父・上野英信


福岡市文学館で開催中の「上野英信展 闇の声をきざむ」に関連して

福岡アジア美術館内のあじびホールにおいて

「上野朱さんに聞く『筑豊文庫の日々』」という催しが行われました。

上野朱(うえの・あかし)さんは上野英信・晴子夫妻のご子息です。

古書店主であり、

著書に『蕨の家・上野英信と晴子』、『父を焼く 上野英信と筑豊』があります。

この日は聞き手の田代ゆきさんが

筑豊文庫で暮らした日々、父・上野英信のこと、英信の周りに集まった人々や

「廃鉱地帯」の光景などについてたずねられました。

朱さんは最初に、今日は後ろ姿の上野英信を語る、

家族としてはそれしか語れないからと言われました。

まず、筑豊文庫での生活についてきかれた際は、

英信が大事にしたことは「わが身を投じる」ことだったと述べられました。

記録作家の上野英信は筑豊で活動した後、福岡市に転居しますが

再び筑豊へ戻ります。

そこで廃屋に近い炭住を買い取って改築し、

自宅兼活動拠点の筑豊文庫とするわけですが

筑豊へ戻る時、周囲の人々は反対したそうです。

閉山が続いている筑豊へ戻ることは、

家族にとってはたいへんなことだ、ことに子どもの教育に良くないと。

(当時 朱さんは小学校1~2年生)

それに対して英信さんは、だからこそ連れて行くのだと答えたそうです。

今の筑豊を見て育てば、この国に幻想をもたない人間になるだろうからと。

英信さんの妻、晴子さんは短歌をやっていたかたです。

結婚後、英信さんに短歌をやめろと言われて、歌の別れをしています。

歌詠みとして私はそのことに関心を寄せていました。

そのことについても朱さんから晴子さんの心境についてお話が聴けました。

この日の定員は70名となっていましたが

開場の10分後に着くと、整理券番号はすでに64番。

次々に椅子が追加されて、最終的には100名くらいになりました。


 
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