飯塚は音楽のまち
飯塚は音楽のまち雛のまち白蓮さんが歌詠みしまち
キム・英子・ヨンジャ
この一首は2015年に詠んだものです。
その年の秋、飯塚市がイメージソングをつくることになり、
私も「飯塚市の歌」制定委員会の委員の一人になりました。
その時に気づいたことの一つが、飯塚って音楽が盛んなまちだったんだ!ということ。
すると「飯塚は音楽のまち」というフレーズが浮かび、
第三句以降も自動的に?つまり自然に浮かんできました。
私は飯塚市の近くで生まれ(今はその町も合併して飯塚市になっています)
飯塚市内の高校に通い、
飯塚市に転居して数十年になります。
でも、地元のことを知らなかったなぁーと痛感しました。
2015年までの15年間を博多に通勤していて
短歌に関することも福岡市内や東京が主な活動場所であり、
飯塚市に住んでいるとはいえ、
その間は市内では文化活動はほとんど行わなかったという事情もあります。
そんな私でも、
毎年5月に飯塚市で開催される飯塚新人音楽コンクールのことは知っていたんです。
そのコンクールが市民ボランティアのかたがたの協力で運営されていて
レベルの高いコンクールとなっていることも。
「飯塚市の歌」制定委員会は、飯塚文化連盟の藤木撤雄会長がリーダーでした。
委員は、市内の学校の国語教諭のかたと私以外は、全て音楽関係のかたでした。
アマチュア合唱団の指揮者。
女声コーラスグループのリーダー。
中学校の吹奏楽部顧問の先生。
市民吹奏楽団のメンバー。
こちらで知り合ったかたがただけではありません。
さらにいくつものコーラスグループや楽団があると知りました。
それから、以前単独コンサートに足を運んだことのある「としトラーズ」。
この合唱団のメンバーは皆さんご高齢なのですが
定期的に練習日を設けてあり
慰問公演やコンサートへのゲスト出演なども精力的におこなっていらっしゃいます。
「としトラーズ」は、
数年前、なんとオーストリアのあのウィーン楽友協会のホールで歌声を披露したんです!
東日本大震災が起こった際に歌を通じて慰霊の活動をしたことを、
SNSを通じて現地の関係者が知ったことが招待されたきっかけだったとか。
この「としトラーズ」をはじめいくつもの地元合唱団を長年指導してこられた竹森先生は
近年表彰されましたし、
飯塚新人音楽コンクールを中心になって運営してきた飯塚文化連盟の藤木撤雄会長も
福岡県文化賞を受賞なさいました。
そして昨年は、「飯塚新人音楽コンクール」を支えているボランティアの皆さんが
国からの表彰を受けました。
最近は「B-1グランプリ」という、アマチュアミュージシャンが集うイベントも開催されています。
私もとっさに一首浮かんだほど、飯塚は音楽のまちなのです♪