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嬉しかったことー福岡短歌フェスタ


昨日のブログに書いたように

15日に開催した第1回福岡短歌フェスタ」ではいくつかの出会いがありました。

それぞれ、この場ができたからこそ出会えた嬉しい出会いでした。

そのうちの一つは、山本詞(やまもと・つぐる)に関することです。

山本詞が坑内の事故で亡くなった折は新聞にも取り上げられ

翌年にはNHK福岡放送局が遺稿集をもとにしたラジオドラマを制作しています。

近年では「サークル誌の時代-労働者の文学運動1950-60年代福岡」展

(福岡市文学館・2011年開催)で取り上げられていましたし

総合誌「現代短歌」の「九州の歌人たち」シリーズで

2015年に山本詞を紹介した回があり

黒瀬珂瀾さんと松井義弘さんが執筆なさっています。

けれども、現在の歌壇でその名を知られている存在かといえば、

うなづくことはむずかしいかもしれません。

それは地元の筑豊でも同じです。

彼は田川の炭住に生まれ、

8歳から幸袋(現・飯塚市)の炭住に暮らし、

直方の旧制鞍手中学校を卒業して

古河目尾坑(小竹町)に勤めました。

つまり、結核のため療養所生活を送った3年間以外は

生涯を筑豊の地で過ごしていますが

彼のことを知る人は

昔の文学仲間以外、ほとんどいません。

私は山本詞のことを知って以来

A41枚にまとめた資料をつくって

筑豊のさまざまなかたに彼のことを紹介してきましたが

「ああ、知ってるよ」というかたはお一人だけでした。

それうは短歌関係のかたも同じです。

(短歌関係といっても、私の交友範囲に限ってのことではあります)

それが、一昨日の福岡短歌フェスタでの休憩期時間中、

初めてお会いしたかたに山本詞のことを少しお話ししたら

「ああ、知ってますよ。

『地底の原野』(彼の遺歌集)、心して読んだなぁ。

胸にぐっとくるものがあるよね。

『地底の原野』は今も本棚に大事に置いていますよ。」

というおことばが返ってきたのです。

『地底の原野』は彼が亡くなった年、1962(昭和37)年に発行されました。

つまり、出版からすでに半世紀以上が過ぎているのです。

最近私が山本詞について書いた文章は

掲載誌がこの夏に発行される予定です。

そのかたに掲載誌をお送りするお約束をしたことは

申すまでもありません。


 
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