飯塚に来た!力道山
知りませんでした。
力道山(1924~1963)、飯塚に来ていたんですね。
プロレスの試合をおこなっています。
場所は、芝居小屋として全国的に有名な嘉穂劇場!
この間、「飯塚藝術文化新聞」(平成30年9月1日付)を読み返したら
嘉穂劇場理事長の伊藤英昭さんの
「芝居小屋でプロレス」というコラムが目にとまりました。
そちらの冒頭に
「嘉穂劇場に残されているポスターやチラシの中に
昭和31年力道山一行のプロレス興行があります。
この頃には、多くの芝居小屋が映画館になり、
さらにテレビが普及し始め筑豊では炭鉱の閉山も始まり、
芝居小屋は姿を変えていきます。」
とあります。
「(中略)当時テレビ放送が始まって間もない頃で、
プロレスが始まると街頭テレビには黒山のような人だかりがあり、
大入りを期待して嘉穂劇場では初めての興行でした。」
と続くのですが
まさに全国的な人気者、力道山の試合が
「ふたを開けると思わぬ不入り。」だったそうです。
コラムは
「その後、
何度か行われた大木金太郎一行のプロレス興行では大入りだったとか。
やはり興行は水物です。」
と締めくくられています。
全盛時代の力道山の試合に観客が不入りだったとは、
ほんとうに意外です。
興行のことは何もわからない私が想像するに、
理由の一つは入場料の問題かもしれません。
この伊藤英昭さんのコラムによると、
力道山一行の興行の入場料は破格の値段だったそうです。
コラムの冒頭に
「この頃には(略)筑豊では炭鉱の閉山も始まり」
とありますから
破格の入場料は一般の人々には手が出しにくかったことでしょう。
そんなことを考えながら
コラムに添えられた当時のチラシに目を移すと
試合日が8月15日と載っていました。
コラムの内容と合わせると
昭和31(1956)年8月15日ということになりますね。
8月15日と言えば
日本では終戦記念日です。
昭和31年は、その終戦からまだ10年余りしかたっていない。
その頃、日本の人々は終戦記念日をどのような思いで迎えていたでしょう。