「恋う」は「乞う」-中西進先生
朝日新聞の文化・文芸欄の「語る-人生の贈りもの-」。
各界の著名人がインタビューに来し方を語るシリーズ記事です。
かつて「かりん」の馬場あき子先生も登場なさいました。
今年(2021年)になって早々には
国文学者であり、元号「令和」の考案者とされる中西進先生のお話が掲載されました。
その中で印象に残った言葉は-
✤『万葉集』は長い時間をかけて完成したものですが、
まず編纂に動いたのは聖武天皇(上皇)。
疫病など、国の乱れに心を痛めてつくらせた東大寺の大仏開眼の翌年(753年)のことです。
日本人は古来、和歌に特別な力があると考えてきました。
その力で平和をもたらそうとしたのですね。
(2021年1月5日掲載分より)
✤万葉人の恋愛とは「恋う」、魂を「乞う」ことです。
相手の魂に「こっちにおいで」と呼びかけるんですね。
そうして、二人の魂が合うと共寝をするのです。
(2021年1月21日掲載分より)
✤国民の一人として、令和について考えることをお話ししましょう。
典拠は、もうみなさんご存じの『万葉集』巻五「梅花の歌32首」の序文ですね。
730(天平2)年正月、大宰府の長官だった大伴旅人が、
梅の花をながめて歌を詠む宴の始まりを告げたものです。
初春令月 気淑風和
「初春の令(うるわ)しい月、空気が淑(しと)やかで、風が和(やわら)かである」
という意味ですね。
令和はこの表現から生まれたわけですが、
従来の元号の「常識」からすると、実はとても不思議なことなのです。
これまでの元号は、「地平らかに天成る(平成)」のように、
中国の古典にある抽象的な概念からとったものでした。
ところが令和の場合は「令わしい月、風が和かだ」という自然描写ですね。
実は、この変化こそが「典拠が漢籍から国書になった」ことを象徴していると思います。
(2021年2月3日掲載分より)
✤大宰府での梅花の宴は、中国(東晋)の王義之の『蘭亭序』の宴にならったものです。
私は国書が初めて典拠になったことを喜ばしく思いますが、
その元号はアジアの豊かで開かれた文化の中で生まれたのだ、
ということは忘れずにいたいですね。
(2021年2月4日掲載分より)
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