top of page

久山倫代歌集『舟を呼ぶ』

<2022年3月15日>


「かりん」の久山倫代さんの第4歌集が出版されました。


(本阿弥書店 2022年3月1日発行 2,700円+税)


初めて手にした時、


まず歌集のタイトルにひかれました。


久山さんが「かりん」誌に発表された作品の中に


船を詠みこんだ1首があって 


それが印象深かったのでノートに書き写して


私が講師をつとめる短歌講座で秀歌鑑賞のテーマを「舟(船)のうた」とした回に


ご紹介したことがあったからです。



 学会の最後列に背を伸ばし沖ゆく船を見るごとく聞く


          久山倫代 (「かりん」2017年12月号)



私は1980年代から「かりん」入会(2009年1月)まで


中断をはさんで朝日新聞の朝日歌壇に投稿していました。


中断していたのは1988年~1998年です。


中断前の1980年代、久山さんも朝日歌壇によくそのお名前が載っていました。


入選歌の内容から


医学を学んである同世代のかただろうと拝察していました。


次の1首は、近藤芳美選で巻頭入選となった久山さんのおうたです。



 ぴかぴかの「命」見たくて帝切のオペを見に入るフリーの午後は


             1986(昭和61)年10月5日付 朝日歌壇



近藤芳美さんが評で「作者は女子医大生。」と書いてありました。


拙歌が掲載された朝日歌壇の切り抜きのファイルに


久山さんのお名前は3回確認できます。


少なくとも3回は同じ紙面に載っていたのですね。


久山さんのほかにも


渡辺松男さん、大口玲子さん、中川佐和子さんなど


後に朝日歌壇以外でも歌人として知られてゆくかたがたのお名前が見えます。


私が「かりん」に入会したのは2009年1月。


その「かりん」誌で久山さんのお名前と再会しました。


久山さんはすでに本欄(岩田先生欄)の会員であり、


渡辺松男さんも同じく「かりん」の本欄(馬場先生欄)におられました。


初めて短歌らしきものを詠んでから30年以上たって


初めて短歌結社の門を叩いた私の前に


かつて朝日歌壇で同じ回に名前の並んだことのあるおふたかたは


はるか先の海原をゆく大きな船のようでした。


入会してから「かりん」誌では久山さんのおうたを毎号拝読してきたものの


全国大会などでお話したことはなかったのです。


それが、2018年、東京での「かりん」40周年記念式典で


「かりん」のご担当のかたのご配慮であったのか


久山さんと同じテーブルのお隣の席だったので


そこで初めてお話をいたしました。


朝日歌壇にお互いの名前が並んでいた頃から30年がたっていました。


翌年の2019年は母が余命宣告を受けていたため私は全国大会を欠席。


2020年からはコロナ禍のため従来の全国大会は開かれておらず


福岡県に住む私はあれ以来岡山県在住の久山さんにお目にかかる機会がありませんが


昨年からZoomを使った「かりん」のオンライン統合歌会に参加するようになり


そこで画面越しではありますが久山さんと再会しました。


現在は私も久山さんと同じ「かりん」の本欄(坂井さん欄←岩田先生欄から引き継がれた)


におります。


久山さんの第4歌集『舟を呼ぶ』を拝読しました。


いっきに引き込まれる歌集です。


そして、朝日歌壇時代を過ぎて久山さんに流れた歳月を


自分自身の歳月に重ね合わせて


感慨深く思いました。


久山さん、第4歌集ご上梓、おめでとう存じます。




 学会の最後列に背を伸ばし沖ゆく船を見るごとく聞く



 遠き日にカラー口絵のごとくあり水風船も金魚すくいも



 ご祈念のお札を父の腹に当つ今日は医師にはあらざるわれは



 暑さ寒さが呼吸のごとくこの家に出で入り二百余年が過ぎぬ



 幾たびもわが為ししかどわが父に死亡確認今行わる



 さびしげにわれに微笑むうつそみよありがとうもう空にいる母



 母の生されどわれらの母の生「遺体袋」という死よ来るな



 遠き世の子に会うごとく母は見るガラス超しにて手を振るわれを



 手を握ってやって下さい職員さんさびしいと言えずほほえむ母の



 





 

Commentaires


最新記事
アーカイブ

© 2016 by kotonohasha

当サイトの文章・画像などの無断転載を禁止いたします。

 

bottom of page