歌の神様がおりてきてくれる-佐佐木幸綱さん
「心の花」主宰の佐佐木幸綱さんは今年の3月2日から
朝日新聞 文化・文芸欄の「語る-人生の贈りもの-」に登場なさいました。(全12回掲載)
35歳で「心の花」の編集長になる前から
祖父である佐々木信綱を始め、
中村草田男、寺山修司、司馬遼太郎、井上泰靖、大江健三郎、三島由紀夫・・・
多くの文学者との交流があったことが語られて、豪華絢爛。
そのお話もたいへん興味深いのですが
短歌に関わることで印象に残ったことばをご紹介いたします。
✤大岡信さんは評論『うたげと孤心』で、
集まって互いに刺激し合う「うたげ」と、個人で深く作る「孤心」とが重なり合ったところに
短歌や俳句など日本の伝統文芸があり、片方だけではだめだと。
まさにその通りで、「うたげ」の機会がほとんどなくなった1年でした。
✤(―オンラインでの歌会は開かれていますよね。)
人が集まると独特の空気が生まれるものだけれど、
やっぱり電波では伝わりませんから。
空気感がないんです。味気ない。
帰りに一緒に飲みに行くってこともないですしね。
オンラインではあまりおもしろくない、と「飢え」の感覚を持つ人が増えたんじゃないですか。
短歌は「座の文芸」なんだと意識する機会になったという意味では。
良かったと思っています。
(2021年3月2日掲載分より)
✤「琴歌譜」という短歌を琴の伴奏でうたうときの楽譜らしきものが、
1924(大正13)年、祖父・信綱によって発見され、学会に紹介されました。
平安時代に短歌が琴の伴奏でうたわれた実際が、初めてわかったわけです。
ただ、どのようなテンポで、どんなメロディーでうたわれたのかは、
今でも読解できません。
✤短歌は「しらべ」である、と斎藤茂吉が言ったことに対して、
「ひびき」だと僕は書きました。
72年に出した第2歌集『直立せよ 一行の詩』の後記で触れています。
短歌の生命は、そのひびきにある。
歌を作るときも、実際に声に出して言葉の切れ味を確かめることが大切ですね。
(2021年3月16日掲載分より)
✤(―これから短歌を始める人に声をかけるとしたら)
まず、昭和時代の先輩歌人の短歌を読むことでしょうね。
好きな短歌は暗記するといいと思います。
短歌は俳句とともに伝統詩ですから、自分だけで勝手に作ってもだめなんです。
短歌の五七五七七という『型」を習得するには滑走期間が必要です。
500首つくると、仕組みがわかる。
1千首つくると、言いたいことが言えるようになる。
理屈で覚えても、うまくいかない。
しばらく退屈だと思いますが、やってみてほしい。
するとあるとき、自分の力以上のことが詠めるようになる。
自分のミニチュアみたいなものを作ってもしょうがない。
やはり、自分を超えたものを作りたいと思っているわけで。
形式の力とも、伝統の力とも言えますが、
歌の神様がおりてきてくれるんです。
(2021年3月18日掲載分より)
✤短歌は、作るときはひとりですが、
人に読まれることで初めて完成します。
日記に書いて、10年後の自分が読む、ということでも良いのですが、
歌の読み方は一つではなく、読み手や時代によって変わっていく。
結社は歌を作る人の集まりですが、読む集団でもある。
歌会という「宴(うたげ)」は、読み方を教わる場でもあります。
また、同時代の歌詠みと切磋琢磨するだけでなく、
万葉集の時代から1300年続く歌の歴史を意識し、その流れに入っていく、
ということでもあります。
今後も、時代に合った結社のあり方を考えていけたらいいと思っています。
✤やはり、歌が好きなんだと思いますね。
たまに昔の歌集を読むと、
その時代に一生懸命に作っていたことが彷彿とします。
自分の生きざまみたいなものを、本当に道を歩くみたいに思い出すことができる。
不思議な感覚ですね。
(2021年3月19日掲載分より)
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