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天平の七夕の宴


今日は七夕ですね。

新元号「令和」で話題となった万葉集の「梅花の歌三十二首」は

大宰帥である大伴旅人邸で催された梅花の宴で詠まれたことは

ご存じのとおりです。

梅は当時舶来植物としてめずらしがられ、人気がありました。

梅花の宴が開かれた背景には

都での政変などがあるのですが

うたげの様式は梅を愛で、梅を詠み継ぐものでした。

時は天平二年(730年)。

ところで、同じ天平二年、(そして一説には前年の天平元年にも)

憶良は大伴旅人邸(帥の家)でうたを詠んでいます。

それが七夕のうたです。

万葉集は相聞(恋)のうたがあまた収められていますが

その中に憶良のうたはありません。

憶良は恋のうたを残していないのです。

けれども、七夕のうたとしては

牽牛や織女になり代わって相手を恋しく思う気持ちを詠んでいます。

この年の12月に旅人は都へ帰り、

翌年の天平三年に逝去。

旅人より遅れて帰京した憶良が天平五年につくったのが

昨日ブログでご紹介した「沈痾自哀の文」です。

この年が憶良の亡くなった年とみられます。

では、早春に梅花の宴が開かれ、

秋には同じく旅人邸に集まって七夕の歌が詠まれ、

年末に旅人が大宰府を後にした天平二年(730年)を偲んで

その時の憶良の七夕のうたより一首を記します。

 玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは

 (万葉集 巻八-1526)


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