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チョゴリにウェディングベール

<2024年5月19日>


NHKの朝ドラ「虎に翼」で寅子が結婚写真を撮るシーンに釘づけになりました。


寅ちゃん、黒地の和服(振袖?)に清楚なウェディングベールをかぶっていましたね。


ここに注目されたかたは多いかと思います。


時は1941(昭和16)年11月。


太平洋戦争勃発のひと月前として描かれています。


この頃、寅子が帰宅する場面の後ろのほうで


近所の人がリヤカーで鍋や釜らしき物を集めていたり


(金属供出ですね)


行きつけの甘味屋さんのメニューが少なくなったり


裁判傍聴で出会ったお寿司屋のおじさんが


食材が手に入らなくなり、お店をたたんで郷里へ帰ったり。


戦争が生活に及ぼす影を


物語の前面には出さず、


周囲の人々の動向で描いている印象です。


そういえば、花江ちゃんの実家の稲さんも


「こういうご時世ですから、奥様とご相談して郷里へ帰ることに・・・」と


ご挨拶に来ていましたね。


こういうご時世とは、贅沢ができなくなったということでしょう。


それでも、中流家庭の寅子の生活には逼迫した感じはありません。


挙式しなかったのも経済上の理由ではなく


寅ちゃんたちの意志のようです。


とすると、


和装の髪型を文金高島田とせずにウェディングベールとしたのは


寅ちゃんたちがご時世を意識したのか、


和洋折衷のスタイルが流行っていたのか、


それ以外のドラマの演出上の意図があるのか、


と、気がついたらいろいろ考えちゃってます。


実は、私の母も寅ちゃんと同じ1941年に結婚しました。


母の婚礼衣装はチマチョゴリにウェディングベール。


伝統衣装(本来の伝統婚礼衣装ほどは豪華でないもの)に


ウェディングベールを合わせているのが寅ちゃんと同じです。


場所は日本国内ではなく、韓半島南部でした。


以前、このことを初めて知ったとき、モダンな感じもしました。


母が本来の伝統的な婚礼衣装でなかったのは


戦争中というご時世であり、


経済的な事情もあったのかもしれません。


それともうひとつ、「儀礼準則」の影響も思うのです。


「儀礼準則」とは1934年に朝鮮総督府が出したものです。


婚礼や葬礼・祭礼の簡素化のためのもので


法律ではありませんでしたが


地域によっては法律と同等の力があったそうです。


昨年、角川「短歌」の11月号に7首連作を寄稿しました。


タイトルは「双鳥牡丹~1941年の母に寄せて」です。


母が数え年17歳で結婚した折のことを詠んでいます。


その3首目にウェディングベールのうたがあります。







         婚礼の日が初対面だった

天青のチマ薄紅のチョゴリもてウェディングベールを戴く十七


            キム・英子・ヨンジャ 「双鳥牡丹」




 

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