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「不弥国の考古学」

  • momosaran
  • 2017年6月17日
  • 読了時間: 3分

不弥国(ふみこく)は、かの有名な「魏志倭人伝」に出てくる国です。

邪馬台国への行程を書いた箇所に、韓半島の帯方郡、狗邪韓国、対馬国、

一支国、末蘆国、伊都国、奴国、の次に出てきます。

不弥国については「東行、不弥国に至る。百里、官を多模といふ、

副を卑奴母離といふ。千余家あり。」と、ごく短く書かれているのみです。

対馬国は現在の長崎県対馬市、一支国は壱岐、末蘆国は佐賀県松浦地方、

奴国は福岡県の福岡平野と考えられていますが、

その先の不弥国、投馬国、邪馬台国については記述の内容があいまいで

実態がはっきりしないのだそうです。

今年度 飯塚市で実施されている古代史企画「古代から未来のトビラを拓くー遠賀

川の古代文化と邪馬台国―」の第2回として、

「不弥国の考古学」と題した講演会が開催されました。

講師は飯塚市歴史資料館の館長である嶋田光一さんです。

嶋田さんは私が高校時代に所属していた郷土部の先輩にあたるかたです。

嶋田館長によると、邪馬台国がどこにあったかという論争に決着をつけるには

謎の国である不弥国の場所と実態を解明することが重要だそうです。

場所については諸説あって、福岡県粕屋郡宇美町付近(「うみ」の地名が「ふみ」に

通じる)や、大宰府付近とする説があります。

嶋田館長は飯塚市(嘉穂地方)にあったとする立場からお話しなさいました。

その大きな根拠は飯塚市の立岩遺跡です。

弥生時代中期後半に立岩王(たていわのきみ)と呼ばれる王(大首長)が出現した後

この地域は統合から分散、そして統合を繰り返して「国」の体制を維持してきたのだ

そうです。こうした一帯に不弥国を想定することは可能ではないかとのことでした。

「魏志倭人伝」には、不弥国から「南、投馬国に至る水行二十日」の記述が

あるそうです。その船出は、立岩で丸木船に乗って遠賀川をいったん北へ下り、

河口の「崗の水門」(おかのみなと)で大型船に乗り換え、響灘あるいは洞海湾を

東に水行し、そして東南に水行すれば周防灘、あるいは瀬戸内海に至るので

そこに投馬国があったのではないかというお考えです。

嶋田館長の講演に続いて、この古代史企画のコーディネーターである考古学者の

高島忠平さんとの討論が行われました。

邪馬台国九州説を唱える高島さんと。周防灘や瀬戸内海以東に邪馬台国を

見据える嶋田さんとの熱いディスカッションも聴きごたえがありました。

けれども、討論の司会をつとめた西日本新聞の西村隆幸筑豊総局長によると

お二人は、かつて同じ先生のもとで立岩遺跡について学んだ、

いわば同門の間柄だということです。

高島さんの邪馬台国九州説も説得力があるのですが

高校の郷土部の後輩としては嶋田さんに肩入れしてしまう私でした(=^∸^=)


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