福岡大空襲-13歳の6月
きのう、飯塚の最高気温は32.7度と、もう真夏のようでした。
そして昨日は72年前に福岡大空襲のあった日です。
福岡市の天神も博多も焼け野原になったそうです。
アメリカ軍は日本で人口の多い都市の一覧を作っていました。
人口の多い都市に壊滅的な打撃を与えることにより
人々の戦意喪失を狙うためで、
当時 福岡市は全国で8番目に人口が多かったのです。
中学一年生になった時、国語の先生はおもしろいかたで、
時々授業から脱線しては私達生徒を笑わせてくれました。
入学からしばらくたった6月のある日も
先生は授業とは関係のない話を始めました。
いつもと違うのは、それが滑稽な話ではなく
先生の戦争体験だったことです。
かの戦争の末期に、福岡市にも大きな空襲があったこと。
その空襲で先生は怪我を負ったこと。
先生が今も体にやや難儀を抱えているのは その怪我が原因であること。
そのお話のおかげで、田舎の中学生であった私も福岡大空襲のことを知りました。
1970年代のことです。
現在は戦争を経験したかたがかなり少なくなってきます。
それでも、いえ、だからこそ。
戦争に限らず、
語ること、
そして直接話を聴くことの大切さを思うのです。