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10代で佐藤愛子さんに憧れた理由


佐藤愛子さん。

90歳を越えて執筆なさったエッセイがベストセラーになっているそうですね。

そして、お姿も凛としていらっしゃる。

佐藤愛子さんの小説で印象に残っているのは『血脈』です。

『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞なさったときは

私はまだ小学校の低学年だったので覚えていないのです。

お書きになったものを初めて目にしたのは

実は10代の女の子向け雑誌の「セブンティーン」誌上だったと

記憶しています。

娘さんとの日常を軽妙に書かれていて愛読していました。

当時、小学校上学年から中学生ぐらいだった私は

佐藤愛子さんのような生活がしたいなぁと思ったものでした。

小説家で、ご自分の経済力で子どもを育てていて、

家事はお手伝いさんがしてくれる。

その頃憧れていた職業はスチュワーデス(当時の呼び方)や漫画家で

作家になりたいとか、結婚したくないとか全然思っていなかったのに、

どうして佐藤愛子さんの生活に憧れたのか。

それはきっと、人気作家としてテレビや雑誌に登場なさっていたことと

それ以上に家事を手伝ってくれるかたを雇っていたからでしょうね。

12歳前後の子どもには優雅な暮らしにみえたのでしょう。

それに、エッセイがおもしろいので、

実際の生活も楽しいことばかりのように受け取っていたことでしょう。

朝日新聞の文化・文芸欄の「語る-人生の贈りもの」というコーナーは

いま佐藤愛子さんのお話が載っています。

12回目の本日はその頃のことが語られていいます。

――――ここから引用――――

 《小説にエッセーの執筆、テレビにも出演する大忙しの日々。

  佐藤さんは娘を持つシングルマザーだった》

 忙しくて家事ができず、家政婦さんに来てもらっていました。

書斎は2階にありました。昼ごはんのために1階に降りる時間さえ

もったいない。サンドイッチやおそばを書斎まで運んでもらって、

食べながら書いていました。

――――――引用ここまで――――

佐藤愛子さんが当時の夫の莫大な借金を一部背負っていたこと、

その返済のために しゃにむに働いていたことなど知らずに

ただ作品の中の愉快な生活をいいなぁと思っていたんですね。

その頃の私は思春期で、

友だちのことや自分のルーツに悩んでいました。

だから、痛快な佐藤愛子さんの性格にスカッとして、

こんな人になりたいと思ったふしもあるかもしれません。

あれから長い年月がたって、気がついてみると

千分の一ほどは似ている(?)生活と言えなくもありません。

まず、自宅で執筆の仕事をしている(人気作家ではないけれど)。

そして、一人で育てた子どもがいる(娘ではないけれど)。

万分の一も近づいていないのが、家政婦さんの存在です。

さぁ、おそうじを始めなければ!


 
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