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馬場あき子先生と囲碁

  • momosaran
  • 2017年9月20日
  • 読了時間: 3分

朝日新聞(2017.9.15付)に馬場あき子先生の囲碁名人戦観戦記が掲載されました。

9月12日、13日に行われた第42期囲碁名人戦七番勝負第2局です。

見出しは「美しき死闘 私も胸苦しく」となっています。

馬場先生のプロフィールとして

ー1928年生まれ。歌誌「かりん」主宰。78年から「朝日歌壇」選者。

碁は打たないが鑑賞が好きで、囲碁の歌を多く詠んでいる。-

と載っているように、

馬場先生の随筆集『歌よみの眼』(NHK出版 2010年1月15日発行)にも

「碁――魂の程見ゆる」と題された文章が収録されています。

――――ここから引用――――

 昔の学校の放課後は長閑で、教員はよく碁を打っていた。

基盤を前に沈思黙考している男性の姿は少しく哲学的で好ましく、

私はしばしば観戦を楽しんだ。

 そんな私が碁にいっそう魅かれるようになったきっかけは

『今昔物語』の碁打ち寛蓮という名人が無名の碁打ち女に大敗する話を

読んだからである。

――――引用ここまで――――

という書き出しで始まる随筆には、『源氏物語』と紫式部も出てきます。

――――ここから引用――――

 奈良時代に渡来した碁の競技はまたたくまに上層階級の人々の間に広まり、

平安時代には御簾(みす)の奥深く隠れ棲む女性たちの間にも多くのファンを生ん

だ。 (中略)

 紫式部はといえば、『源氏物語』の中にしばしば印象深い碁の場面が現れるのを

見ても、かなりの碁好きである。「総合」の巻ではさらに「筆とる道と碁打つこととぞ、

あやしう魂の程見ゆるを――」という言葉を記している。

 筆で表現する書画の道と碁を打つわざには、ふしぎに「魂」の程が見えるとは

何という恐ろしい眼力であろう。「魂」とはここでは素質とか天分のことだが、

人間そのものの評価でもあるだろう。

――――引用ここまで――――

と書かれています。

また、「かりん」誌では馬場先生の「さくやこの花」が連載中ですが

2014年3月号では碁に関する一首について執筆なさっています。

――――ここから引用――――

負けまじき本因坊の長考の寂莫の時ある夜身に満つ

                      『雪鬼華麗』 昭和五十四年十月刊

(前略)

 母の国丹波と父の国会津を往来しながら、なお心のふるさとさがしがつづいている

気分の中で、私の流離感は少しく若やいださびしさとともにあった。そうした中で、

この歌のように、内面の思いも深く、今の自分が求め、また求められているものが

あるとすれば、それは何かと、考える時間もあった。この歌は、ほとんど映像も浮か

ぶであろうような、四句までの長い比喩にゆだねられている私自身の内面である。

こんな時間が好きだ。だが本因坊のように長考のはてに手だてが浮かぶはずも

ない。しかし、結果は得られなくても無類の充実感はある。

(後略)

――――引用ここまで――――


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