「情熱の嵐」
中学1年生の時のとある日曜日の午後
私はラジオの前で両手を組んで祈っていました。
どうかヒデキが1位でありますように…。
野口五郎、郷ひろみとともに新御三家と呼ばれて人気があったけれど
まだ大ヒットはなかった。
新曲が、今度こそ1位をとれるようにと、
祈るような気持ちで、ではなく、本当に祈りながら
地元のラジオ局の歌謡曲ランキング番組を聴いていたのです。
10位の曲から発表されてオンエアされていきますが
ヒデキの新曲はかかりません。
ベストテン圏外だったのか?と思いましたが
もしかして、初登場1位の可能性もあります。
「今週の1位は-」
その次に、「情熱の嵐」!西城秀樹!
とアナウンスされたときは、
ラジオの前でひとり小躍りしてよろこびました。
「情熱の嵐」は大ヒットとなり、
それを皮切りに大ヒットを連発していきます。
お年玉でLPレコードも何枚か買いました。
(当時は「アルバム」ではなくLPと言っていましたよね?)
それからもずっとずっと大ファンだった…わけではなく、
少しずつ歌謡曲以外の音楽を聴くようになりました。
中学1年生の時も、ヒデキの大ファンだったけど
姉の影響で井上陽水も聴いていたし
中学三年生になると
ユーミンの「ルージュの伝言」がお気に入りでした。
高校1年生の頃はベイシティローラーズのファンになった。
でも、ローティーンの頃
とっても大好きで、一生懸命応援していたのはほんとうです。
西城秀樹さん、というより、ヒデキ。
中学生だった私のアイドル。
嵐のような情熱で、あなたを応援していました。
あなたの名前は一生忘れないと思います。