道淵悦子歌集『空のようなもの』
- momosaran
- 2018年6月25日
- 読了時間: 3分
「かりん」の道淵悦子さんの第二歌集『空のようなもの』が出版されました。
(梧葉出版 2018年5月15日発行 2,500円+税)
歌集名は、次の一首から取られているようです。
はじまりも終わりもなくて時間とは確かに仰ぐ空のようなもの
拝読して特に印象深かった作品について記します。
わが住める所を列車に見て過ぎる日暮れはかすか背信の匂い
チェロの首をかき抱(いだ)き離し引き寄せるときおりチェロに抱かるる奏者
持てる鍵は家の鍵のみひとつのみ束縛少なき生といわんや
運命のタグボートなど現れん計らい捨てて慎みておれば
世の音を少しやさしく聞くために鍔広帽は深くかぶりぬ
物を売る電話おそろし買う電話まして怖ろし思い出まで買う
消し忘れの門灯ひとつ癒されぬかなしみ残るように真昼間
シベリアをついに語らず逝きにけりライ麦パンを好みし父が
深鉢の貫入に汁の沁みこんだ時間の嵩をふるさとと呼ぶ
籾殻に置かれし玉子のひとつずつ光りておりき半世紀前
あの睦月七日にひとつ開いていたケーキ屋さんも店を閉じたり
うす墨の梅雨を間にさし入れて青磁の五月、白磁の七月
すれちがうときお互いに傾ける日傘の間(あい)に涼風とおる
一首目(わが住めるー)、私も、ごくたまに実家の前をクルマで通り過ぎる時、
仏壇の仏様に対して申し訳ないような気持ちになり、軽く頭を下げる。
そうした心の機微を、「背信」ということばで掬い取った。
二首目(チェロの首をー)チェロを擬人化し、
演奏する側がもっぱら楽器にはたらきかけるだけではない、
演奏者と楽器との関係を詠んでいる。
三首目(持てる鍵はー)、鍵をたくさん持っていることを、
価値の高い、または大切なものがたくさんあるとプラスのほうに見るのではなく
自分を束縛するものが多いのだと捉える。
四首目(運命のー)、「タグボート」が効いている。
五首目(世の音をー)、帽子を深くかぶるのは、
日焼けしたくないからでも、他人に顔を見られたくないからでもなく、
世の中の音が少しでもやさしく聞こえてほしいからなのだという。
「世の音」は実際の街中のさまざまな騒音とも読めるし、
引きもきらない凄惨な事件や悲しいニュースのことかもしれない。
つばひろの帽子がやさしくやわらかなイメージを残す。
六首目(ものを売るー)、セールスの電話で何かを買わされてお金を失うより、
昨今問題になっている、押し売りならぬ「押し買い」によって
思い出の品を持っていかれることのほうがもっとおそろしいのだ。
十一首目(あの睦月ー)、お店の前を通るたび、そのことを思い出していたのかもしれない。
生活必需品ではなく、ケーキのお店であるところが余韻を残す。
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