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シュガーロード~長崎と砂糖と私~

  • momosaran
  • 2020年2月29日
  • 読了時間: 3分

長崎街道は、かつて長崎から佐賀、飯塚、木屋瀬、小倉まで続く道でした。

江戸へ行き来する大名やシーボルト、そして象までも通った道。

鎖国していた日本で、海外からの輸入品は長崎から各地へ

この道によって運ばれました。

当時、たいへん貴重だった砂糖もその一つ。

それで、長崎街道はシュガーロードとも呼ばれます。

街道沿いのまちにはさまざまなお菓子が生まれました。

長崎のカステラ、佐賀の丸ぼうろや羊羹など。

飯塚にも、千鳥饅頭やひよ子を始めとした名物のお菓子があります。

飯塚の場合は、長崎街道の宿場町だったことだけでなく、

かつて日本屈指の炭田地帯だったことが関係していると言われます。

(炭坑で働く人たちが、疲れをとるために甘いものを求めたそうです)

江戸時代から貴重品の砂糖が手に入りやすかったからか、

長崎の料理は甘いそうです。

砂糖がふんだんに使われているんですって。

そのことを知ったのは、つい2年前のこと。

私は18歳から20歳までの二年間を長崎で過ごしました。

短大の学生寮は三食付きでしたが

特に甘いとは感じたことがなかったのです。

考えてみたら、献立は栄養やカロリーを考えて作成されていたし、

寮監先生のチェックも入っていたのかもしれません。

(学生寮は鳴滝寮といいました。

 私の母校は、シーボルトの鳴滝塾跡のすぐ近くにあったんです)

鳴滝寮で三食をいただくし、

外食はあまりしなかったので

長崎の料理が甘いということに気がつかなかったんでしょうか。

それとも、特に家庭料理の味付けが甘いのかな。

長崎で家庭料理をいただく機会は1度しかなかったので。

でも、カステラやお饅頭やケーキのお店が多いことは

長崎で暮らし始めてすぐに気づきました。

外食の機会が少なかったのは

寮で三食提供されるからですが

もう一つの理由は

たびたび外食するようなお小遣いの余裕がなかったからですね。

それでも、友だちと喫茶店めぐりをするのは楽しかった♪

長崎は喫茶店も多かった気がします。

喫茶店と言っても、コーヒーを飲みにいくわけではないんです。

そのお店の名物のスイーツ(当時はスイーツなんて言葉は使わかったけど)が

おめあてなのです。

寮の仲間で、どのお店の何がおいしいと情報交換をしていました。

今もはっきり覚えているのは、

中島川沿いの喫茶店で食したジャンボシュークリームですね。

ほんとうにジャンボ!

赤ちゃんの頭くらいの大きさでした(=^∸^=)

それから、

学校の近く、新大工町にあったデパート・玉屋の食堂のマロンパフェ!

栗がゴロゴロ、たくさん入っているんです。

振り返ってみると、

長崎では甘い料理の思い出はありませんが

たまに友だちと連れだって甘いものを食べに行くのは楽しかった。

やっぱり長崎は、私にとってもシュガータウンです🍰

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