65年目の祭祀(チェサ)
- momosaran
- 6 日前
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更新日:5 日前
<2025年5月15日>
今日は三寸(サムチョン=父方の伯父・叔父)の命日です。
叔父は日本において若くして亡くなりました。
子どもがなく、叔父の妻はその後再婚したので
叔父の祭祀(チェサ)は私の実家がずっとおこなってきました。
母亡き後も受け継いでいます。
叔父は私が生まれる前に亡くなったのですが
姉たちのことはとてもかわいがっていたらしく
姉たちが思い出話をするのを聞いて育ちました。
それで、この世で会ったことがないにも関わらず
私にとっても叔父は近しい存在であり続けています。
私の父は数え年11歳のときにひとりで日本へ渡ってきました。
その後、弟である叔父を呼び寄せ、ふたりでがんばってきたときいています。
おたがいに結婚してからも近くに住んで
仕事も家庭のことも助け合っていました。
叔父は父にとってたったひとりの男兄弟。
その叔父が若くして癌になったとき
父はなんとかして助けたいと奔走しました。
九大病院に入院させましたが
治る見込みがないとなったのでしょうか。
当時、実家の近くにあった炭坑(日鉄嘉穂鉱)の病院に転院しました。
日鉄嘉穂鉱は大手の炭坑で、その病院も大きなものだったようです。
映画が観たいと言った叔父。
体力的に映画館に行くことはかなわなかったのでしょう。
映画の代わりにと父はテレビを買って叔父の病室へ運び入れました。
1960年(昭和35年)。
いなかではテレビはまだあまり普及していませんでした。
叔父が亡くなって、そのテレビはうちにやってきました。
その集落ではテレビのあるうちはまだなかったので
プロレスを見たい近所のひとたちが
おおぜいうちに見にきていたそうです。
三十八の美丈夫なりき故国には帰らぬままに日本に逝きぬ
キム・英子・ヨンジャ
「かりん」2023年1月号「サムチョン(叔父)」より
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