「かりん」12月号-これの世のバス
<2023年12月12日>
今月号は7日の夕方に届きました。
お世話してくださっている「かりん」のみなさま、ありがとう存じます。
12月号は例年、1年間を振り返る「年間展望」が掲載されます。
欄ごとに9名のかたが執筆なさっています。
私もこれまで数回執筆したことがあります。
入会からさほど年数がたっていなかったこともあり、
たいへん緊張して、
担当する欄に1年間に掲載された作品全首に目を通しました。
当時、ざっと数えたらその欄には毎月500首ぐらいが載っていたので
大まかに計算して6,000首くらいを読みました。
その時の経験があるので
その後年間展望を目にするたびに
執筆なさったかたがかけられた時間に思いをいたします。
巻頭の「さくやこの花」(馬場あき子先生執筆)は第155回。
今回取り上げられたのは次の1首です。
亡き人はまこと無きなり新しき年は来るともまこと亡きなり
馬場あき子 『あさげゆふげ』(2018年)
馬場先生と岩田正先生はおふたりで暮らしておられました。
岩田先生が急逝されたのが2017年の11月。
49日を迎えてすぐにお正月がきたのです。
この1首を初めて拝読した折、
胸にぐっとくるものがありましたが、
その後私にもとてもたいせつな人との永訣が1度ならずあって。
そのときよりいっそう胸に沁みます。
今回、馬場先生はその新年をこう書いておられます。
”明るい新年の日が差し込むリビングの空白感が、
「そうだったのだ」と一つの存在の欠損を認めさせられる。
それは「居ない」ということより、「無」であることの知覚である。
存在がゼロになる。
想い出とか、心にある、とかそんなことはごまかしで、
その人は「無」となったのだというリアルな感である。”
「さくやこの花」は毎回拝読していますが
特に今回は文章を含めてずっと心に残るでしょう。
(「さくやこの花」は「かりん」のウェブサイトで随時公開されています)
最後に、私の作品は「馬頭観音」7首が載っています。
その中から最後の1首をご紹介しますね。
これの世の筑豊の地をバスはゆく〈明治坑ゆき〉〈大分坑ゆき〉
*「大分」(だいぶ) キム・英子・ヨンジャ
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