朝日歌壇と馬場先生
<2025年3月10日>
「かりん」今月号の「あの日あの歌」を執筆しました。
「あの日あの歌」は「かりん」の歌人とその短歌についてのエッセイです。
わたしは「初めての短歌大会」と題して書きました。
初めて私からうたが生まれた日から「かりん」入会までのことを。
その間、なんと34年。
14歳のときにうたらしきものが生まれたこと。
22歳から断続的に朝日新聞の朝日歌壇に投稿していたこと。
短歌教室や短歌会とは無縁で朝日歌壇だけがうたの場だったこと。
初めて出詠した短歌大会(全国短歌大会:現代歌人協会主催)で入選し、
東京の大会会場で馬場あき子先生に初めてお会いしたこと。
その大会で小高賢さんも声をかけてくださったこと。
その時に小高さんからいただいた助言。
その8年後、「かりん」に入会を決めた直後
奇しくも福岡で小高さんと2日間にわたってうたの場をごいっしょしたこと。
その折、「かりん」福岡支部長の桜川冴子さんが書かれた紹介文で
小高さんのこの1首を知りました。
的大き兄のミットに投げこみし健康印の軟球(ボール)はいずこ
故人となられた小高さん。
今もときどきこのうたとともに思い出します。
それから、このエッセイで朝日歌壇にふれていますが、
長きにわたってその選者をつとめてこられた馬場先生が
この3月末で退任なさることがつい先日発表されました。
朝日歌壇ではありがたいことに
すべての選者の先生にとっていただきました。
馬場先生がとってくださったことで
人生の大きな励ましになったこともあります。
今月号に朝日歌壇と馬場先生について書いたことと
馬場先生のご退任のニュースが重なったのは偶然ですが
(「あの日あの歌」の原稿は1月の終わりにお送りしています)
短歌とともに生きていると偶然がよく起こります。
今回の偶然にしみじみしたものを感じています。
馬場先生に感謝の気持ちでいっぱいです。
「かりん」に入会して朝日歌壇へ投稿しなくなっても
その紙面は毎週欠かさず読んでいました。
馬場先生の後任には「かりん」の川野里子さんが就かれます。
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