炭坑のまち②-飯塚券番の芸妓さん
<2024年8月28日>
来たる9月7日に飯塚歴史資料館の歴史講座で
「子どものころ炭坑があった~短歌に詠む1969年代、私の筑豊~」
というお話をすることにちなんで
かつて炭坑のまちであった飯塚について書いています。
きのうのブログに書いたように
炭坑は光と影のどちらもがとてつもなく大きかったと感じます。
光の部分を示すものとして
きのうは炭鉱主たちの教育への貢献について書きました。
今日は繁華街のにぎわいを示すお話を。
当時の街なかの繁栄を示すものとして
劇場や映画館がたくさん軒を並べていた話は
耳にすることも多いと思います。
今回の歴史講座の準備として飯塚の近現代を調べていて
私が注目したことのひとつに飯塚の券番があります。
京都などにある芸妓の券番や置き屋が飯塚にもあったのです。
今、京都の芸妓さんと舞妓さんは合わせて251人だそうです
(2023年3月現在)。
1936(昭和11)年、飯塚の芸妓さんは177人いました。
戦後も飯塚の券番には約70人が所属していたのです。
(『飯塚市史』)
ということは、それだけ料亭など
芸妓さんが出入りする場が多くあったということですね。
炭坑の時代の飯塚のまちのにぎやかさは
今では想像が難しいほどだときのう書きました。
飯塚券番は吉原町にあったそうです。
吉原町は現在に続く飯塚市の繁華街です。
そこにあった券番に思いをはせると
当時の花街のにぎやかさを少し思い浮かべられる気がします。
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