炭坑のまち③-炭住の友だち
<2024年9月12日>
NHKの朝ドラ「虎に翼」を毎回観ています。
今朝の回では画面に「昭和45(1970)年3月」と出ましたね。
後に70年安保闘争と呼ばれる学生運動が激化した、
その説明の場面でした。
1970年3月といえば私は子どもでしたが
他のことで忘れられない春です。
私の生まれ育った町にあった炭坑が
1970年に閉山したのです。
そして、炭住に住んでいて子どものいる家庭は
学校の3学期の終業式を待って
春休みにそれぞれの再出発の地へ引っ越して行く、
そういうおうちも多かったのです。
私の同級生も、何人もが春休みに引っ越していきました。
仲のよかった友だちも。
炭坑で栄えていた町ですから
新学期になって登校すると
教室はこれまでと違ったように見えました。
これまでは校歌に「千余の健児団」とうたわれた、
つまり千人を越える児童がいた小学校です。
閉山によって、町からどれくらい多くの人が去ったか。
このことも今月7日におこなった、
飯塚市歴史資料館の歴史講座でお話ししました。
今月のこのブログで
「炭坑のまち①」「炭坑のまち②」として
炭坑の繁栄、光の部分を書きましたが
閉山による人口の激減は影の部分のひとつです。
町内の各小学校は存続した一方、
町内に三校あった中学校は生徒数の激減により
この5年後に閉校。
合併してひとつの新しい中学校ができました。
私は三校あった中学校のうちの一校の最後の卒業生。
なので、今は母校と呼べる中学校はありません。
炭坑の運動会にりんご飴、綿菓子、ヨーヨー、露店はあまた
午後五時のサイレンに炭住から帰る軒端で遊ぶ子たちに手を振り
教室の席が半分空いていた閉山の後の新学期には
キム・英子・ヨンジャ
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