『山椒魚が飛んだ日』-詩と短歌の会
今月の詩と短歌の会は光森裕樹さんの第三歌集『山椒魚が飛んだ日』
(書肆侃々房・2016年12月)を読む会でした。
桜が遅い満開となった日曜日。
朝8時過ぎにうちを出て、午前中は福岡市・天神の赤煉瓦文化館で
「かりん」福岡支部の月例歌会。
午後は同市・薬院のリードカフェで「詩と短歌の会」。
どちらも普段よりご参加のかたが多い会となりました。
光森さんは現在、沖縄県の石垣島に住んでいらっしゃいます。
『山椒魚が飛んだ日』は、漢詩やギリシャ・ローマ神話、シェークスピアの作品や
『万葉集』を取り込むなど文学を色濃く感じさせる歌集であり、、
石垣島に移住して結婚し、初めての子どもを授かるというできごとを詠んでいます。
私が注目したのは「其のひと」という呼び方と
何かを「ある」と詠んでいる歌の多さ。
そこに関心をもって、それは「無い」ものを詠もうとしているのではないかと
考えつつ読み進めると、次のうたに出会いました。
あやまたず父となるべし蕪の葉を落としてまろき無を煮込みつつ
そして、このうたから二首目に並んでいるのは
其のひとの荷物はすでに世にありて襁褓(むつき)の箱を積む部屋のすみ
他にも心惹かれるうたが多いのですが、今日は次の五首をご紹介します。
小夜しぐれやむまでを待つ楽器屋に楽器を鎧(ふ)闇並びをり
夜香花のかをり聞こゆれ山ひとつふたつ生れてもわからぬ闇に
其のひとが人を撲つ夏、より深く其のひとを刺す名はなんだらう
妻となるひとりを知らぬ吾がゐて湯屋よりかへる雪踏みしめて
もう息が続かないからあがりゆく絵本のそこひに子を置き去りて