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『紫の梅』②-関東大震災と白蓮さん


九州は飯塚の伊藤家にいた時代に出した初めての歌集『踏絵』や

戦死した息子・香織への挽歌が収められた最終歌集『地平線』ほどには

世に知られていないと思いますが、『紫の梅』は注目すべき歌集です。

1925(大正14)年に出版された『紫の梅』には、幼いわが子を詠んだうたや

病に臥す夫・宮崎龍介を看護するようすをうたったものなどとともに

関東大震災についての歌も収録されています。

1921(大正10)年の伊藤家からの出奔、いわゆる白蓮事件の後、

二人で住むことができたのはほんのふた月ほどです。

白蓮さんは実家の柳原家に連れ戻されるかたちとなり、

居所は転々として龍介とも会えない時期が続く中で男児を出産します。

白蓮さんがようやく病身の龍介とその母のいる宮崎家で暮らせるようになるのは

1923(大正12)年の関東大震災で被災したことがきっかけでした。

また、震災により白蓮さんは書き溜めていた千首もの歌稿を焼失したと

『紫の梅』のまえがきに記しています。

――――これより引用―――――――――――

ここに集めた歌三百首は、何れも私の新生活に入つてからのものである。

その以前のまだ本にしていない歌即ち踏繪及び、まぼろしの花、自選歌集の

後のものおよそ一千首はノートのまゝかの大震災にあつて皆焼いてしまつた

のである。其の當時は惜しいことをしたやうにも思つたが、後から考へて見ると

いつそ灰になつてしまつてよかつたと思ふ。それは多く恨らみと呪ひと悲しみの

記述であつたからである。今一切の古い衣を脱ぎ捨てゝすべて新らしく自己の

歩みを強く踏みしめて行かうとする時にこの集を公けにすることは私の身に

とつては意味深いものであらねばならぬ。

――――引用ここまで――――――――――――


 
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