1980年代前半、書店での出会い
私が柳原白蓮という名前を知ったのは、飯塚市の老舗、元野木書店で
ある本に出会った時だった。
何か良い本はないかと一番左側の出入り口に最も近い書架に並んだ書籍の
背表紙を順に眺めていて、目線より上の棚にあった『恋の華・白蓮事件』に
目が留まった。棚から抜き出すまで「白蓮事件」のことも、「白蓮」が人名だと
いうことさえ知らなかった。1983年前後のことだ。
この本は初版発行が1982年。著者は熊本県出身の永畑道子。
終生を熊本に生きた歌人の安永蕗子は著者の姉である。
当時は著者のことも知らなかったが、手に取って少し読むと
たいへんに興味深く思い、購入して一気に読み終えた。
1983年といえば、私が初めて朝日新聞の「朝日歌壇」に投稿した短歌が
幸運にも初入選となって紙面に載った頃である。
中学時代に初めて歌らしきものを詠んでから10年ほどたっていたものの
私は先生について短歌を習ったこともなく、
ましてや短歌結社はその存在すら知らなかった。
今から考えれば、20歳を過ぎたばかりの私にとって
柳原白蓮は若山牧水に次いで関心をもった歌人である。
白蓮が10年間暮らしたという旧伊藤家邸宅を見学したいと思ったが、
その時にはまだ現在のようには公開されておらず
市民団体の旧伊藤邸保存運動が実って一般公開されるまでには
それから25年近い年月が必要だった。
ずっと見学したいと思っていたその間、気づいたことがある。
柳原白蓮は有名な人物であり、なおかつ地元にとっては必ずしも良い印象ばかり
ではないはずだが、飯塚の人々は柳原白蓮とか白蓮とは言わずに
「白蓮さん」と呼ぶのである。
それが心に残って詠んだ一首は第一歌集『サラン』に収録している。
やわらかく白蓮さんとその名呼ぶ筑豊の地にわれは生(あ)れたり
キム・英子・ヨンジャ 『サラン』