百人一首の恋-「みる」の意味
今日は百人一首の日ですね。
私の中の百人一首は高校一年生の時に始まります。
古文の先生は大学を出たばかりでボブヘアがよく似合っていました。
授業が百人一首の単元に入ってすぐの頃、
百人一首のここからここまでの十首を暗記してくるという宿題が
出たのですが、私も友人たちも覚えてきておらず、
古文の時間を前に戦々恐々としていました。
(いま考えるとその時間に何首でもいいから暗記すればいいのに、
その頃はきっと、宿題なんてとちょっとつっぱっていたんですね。
そのくせ、あてられたらどうしようとびくびくしているんです🐣)
授業が始まって、先生が宿題の範囲にあった和歌の初句を言い、
その後を諳んじるようにと生徒を指名しますが
最初の数人は誰も答えられません。
答えられずに立っている野球部やサッカー部の男子たちに続いて
わー!私もあてられてしまいました。
「はい、では『あひみての――』、この続きを言って下さい。」
!!!!
先生が示した権中納言敦忠のうたを、なぜか私はすらすらと答えました。
あひみてののちの心にくらぶれば昔は物を思はざりけり
それで立たされずに済んだのですが、宿題として暗記してきてないのに
なぜ諳んじることができたのか。
実はこのうたは、百人一首のなかでただひとつ私が覚えているものだったんです。
それをあてられたのですから、
16歳の私は心の中でラッキー!と叫んでいたはずです。
そんな思い出もあって、この歌はますます好きになりました。
でもこの時、「みる」の本当の意味はわかっていなくて、
ただ相手の顔を見るということだと思っていました。
先生も教えなかったと思います。
けれど、その時知ったとしても、16歳の私にはこのうたをより深く感じることには
つながらなかったことでしょう。
恋のうたは大人になったからこそしみじみとわかるものですね。