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「筑紫の白蓮」百年後

  • momosaran
  • 2017年11月14日
  • 読了時間: 2分

現在、秋の企画展「愛憎のレジデンス」が開催中の旧伊藤伝右衛門邸。

歌人として白蓮さんをグラビア記事で紹介した大正9年(1920)発行の婦人雑誌も

展示されています。

白蓮さんといえば「筑紫の女王」という呼ばれ方が知られていますが

この雑誌の記事の、

飯塚の本邸または別府の別邸で撮影したと思われる

白蓮さんの大きな写真の横につけられているごく小さなキャプションには

「筑紫の白蓮と短歌界で謳われる伊藤燁子女史」とありました。

今回の企画展で、旧伊藤邸に足を運んだのは何度目になるでしょう。

数えてはいませんが、今年で開館10周年。

最初の年を除いてほぼ年に2回は行っていますから

これまでに20回近くは行ったのではないでしょうか。

一般公開が始まった年にすぐに観に行かなかったのは

開館してすぐに大変な人気となり、

県内外から大勢のかたが詰めかけていると聞いたからです。

当時は勤めをもっていたので行くとすれば週末か祝日ですが

そうした日はまたことに観光客のかたを載せたバスが何台も到着します。

白蓮さんのことを知った20代の頃から

一度訪れたいとずっと願ってきたお屋敷です。

混雑が落ち着いた頃にゆっくり観たいと思って待っていたら

開館から1年半を待つことになってしまいました。

毎年の春と秋の企画展の折には、まずその展示を拝見して

それからお屋敷のなかをおおよそひととおりまわります。

現在 奥座敷の床の間には次の白蓮さんのうたが掛け軸として飾られています。

     午前二時月のあるこそいとしけれひとりめざめて一人ものいふ

そして必ず寄るのは白蓮さんの居室だったお部屋です。

二階にあるこのお部屋からお庭を眺めて、当時の白蓮さんのことを思います。

白蓮さんのお部屋には、このうたが掛けられていました。

     ももとせの後また誰かここに立ち月を仰ぎておもふやむかしを

                                        白蓮

「ものとせの後」、つまり100年後のことを思って詠んでいますね。

白蓮さんが伊藤伝右衛門の妻として伊藤邸に暮らしたのは

1911年から1921年まで。

白蓮さんが思いをはせた100年後に

いま私たちは立っています。


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