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「長崎の鐘」と鳴滝寮

 鳴滝の寮の仲間のみな歌詞をそらで歌いぬ「長崎の鐘」

 キム・英子・ヨンジャ

この短歌は私の第2歌集『百年の祭祀(チェサ)』に収めた

「鳴滝」という連作の中の1首です。

私は長崎県立女子短期大学の英文科に進学して

校舎から7分ほど坂を上ったところにあった学校の寮「鳴滝寮」で2年間を過ごしました。

今日のNHKの朝の連続小説「エール」では

主人公の古山裕一(モデルは作曲家・古関裕而)が長崎へ出向き、

代表作である「長崎の鐘」の作曲の着想を得て書き上げるところが描かれました。

この曲を聴くと、私はいつも鳴滝寮のある冬の夜を思い出すのです。

その日は、寮生みなが食堂に集まってクリスマス会がおこなわれました。

お部屋別の余興などで盛り上がったあと

最後に「長崎の鐘」を歌ったのですが

この時、内心ちょっとあわてました。

この曲はこれまでテレビの「思い出のメロディー」といった番組で

耳にしたことはありましたが

歌詞はうろおぼえでした。

クリスマス会では

歌詞カードが配られることもなく

歌詞を書いた紙が掲げられることもなく

伴奏が始まり

わたしのまわりの寮生たちはみんな歌い出したからです。

一番の歌詞だけでなく、

最後までみな覚えているのです。

その時私は

長崎ではこの曲が平和学習などを通じて生徒たちに浸透しているのだろうと

思いました。

「長崎の鐘」は原爆で妻を亡くし、自らも被曝しながら

被爆者たちの救護にあたった永井隆博士の手記をもとにつくられた歌です。

長崎の人々の平和への願いを

寮生たちの歌声にみた思いでした。 

私が卒業したのち、母校は4年制に移行して長崎市郊外へ移転し

現在は長崎県立大学シーボルト校となっています。

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