「海渡る蝶」-父への挽歌
今日は父の日ですね。
わたくしの父は2003年に他界しました。
細身で、モダンな父でした。
父は数え年十一歳でひとり日本へ渡ってきて
八十三歳で亡くなるまで人生のほとんどを日本で過ごしました。
2005年に出版した私の第一歌集『サラン』の最初の章は「海渡る蝶」。
その五十一首のうち、冒頭から二十六首目までは父への挽歌を置いています。
父よ還(かえ)れ雷鳴とどろく夜を越え玄海灘へ友待つ国へ
韓国人の死に装束にあらずして手甲脚絆 棺の父は
白菜(ペクチェ)キムチ器の水に洗いては幼きわれに食ませたまいき
父よ父ようつむくな我に謝るな遠き目をして不意に黙るな
かの地より父の渡りて来た日より七十年を刻みし世紀
徴兵の話の出ればデイ・ケアに徐々に孤独となりゆく父は
医師いわく意識なき父涙する「人生の並木道」歌えば
母国語で父呼び初めし日はまさに永訣のときアボジアボジよ
いざアボジ鮨召し上がれ食めざりし最後の日々に欲せし鮨を
故国(くに)の土せめて入れまし七十年日本に生きし父の骨壺
本堂に金木犀の香り満つ父の遺骨を納める朝(あした)
十一で渡りし国に逝きしとも父はかえらん 海渡る蝶