鳴滝寮とシーボルト
きのうの記事の続き。
母校である長崎県立女子短期大学(県短)が
4年制大学になって長崎市郊外へ移転するのにともない
鳴滝キャンパスでの最後の卒業式がおこなわれると知って
母校の建物がその後どうなるのかわからなかったので
子どもを連れて母校を訪れたのが1999年。
その際、初めてシーボルト記念館を訪れました。
県短のすぐ近くにシーボルトが教えた鳴滝塾跡があって
そこで卒業アルバムの撮影をしたことを覚えています。
鳴滝塾跡に隣接した土地にシーボルト記念館が開館したのは1989年です。
いつか行ってみたいと思っていたのが
10年後にようやく実現したことになります。
そういえば、卒業アルバムってほとんど見ていません。
卒業を控えて学生寮(鳴滝寮)の玄関の前で
友だちや同室の1年生たちと記念に撮ったもののほうが見ています。
在学中に吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』を読んだのですが
それは鳴滝寮の本棚にあった一冊だったように思います。
私の第二歌集『百年の祭祀(チェサ)』の中に
「鳴滝」と題した連作があって
母校や鳴滝寮のことを詠んでいます。
その中に鳴滝塾跡の一首もありますのでご紹介しますね。
紫陽花がたくさん咲いてそれだけの鳴滝塾跡井戸ひとつあり
キム・英子・ヨンジャ