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録音テープ

たぶん、多くのかたが経験してると思うんです。

録音した(された)自分の声を聴いて

え?何これ、私こんな声じゃないって納得いかないことが。

本棚を整理したら、

カセットテープが出てきました。

2005年に初めての歌集『サラン』を出版した後

次のところに呼ばれてお話ししたのを録音したものです。

 ✤一日講座(県立長崎シーボルト大学・現長崎県立大学シーボルト校)

 ✤ラジオ出演(KBC「中西和久 ひと日記」)

 ✤ラジオ出演(NHK「九州沖縄日曜訪問」)

NHKラジオの放送以外は録音テープがあることを忘れていました。

カセットテープが本棚の一番下から出てきて

ラベルが無かったので

中身を確認するために聴いてみました。

それで初めて自分が話しているものだとわかったのですが

どちらも最初は他のかたが話していて

あ、もうここで(聴くのを)やめようと思いました。

なぜかというと、

最初に書いたことに戻るんです。

自分の声を聴くと、なんかもやもやする。

こんな声かなーって思う。

実際にこんな声なら、私あまりいい声じゃないなと思う。

話しかたもあまり気にいらない。

なので、ここから先は自分が話している、とわかった時点で

テープを止めようとしたのに、

うっかり少し聴いてしまったんです。

そうしたら。

これまでと感じ方が違ったんですよね。

歌集を出したことで

大勢のかたのまえで短歌や在日韓国人のことについて話す機会をいただくようになって

その一番最初の頃なので

緊張してそれが話しかたに出ているだろう、と思ったのですが

思ったよりはボロボロにならず、落ちついている(ように聞こえる)。

あんなに好きじゃなかった、録音した自分の声も

それほど嫌だと感じない。

どうして感じ方が変わったんだろう。

そこで思い出したのが、

本棚の前に押し入れの整理をしたときに

友人に送ったメール。

「いろいろなことがあって、今がある。

 あの頃の自分に、がんばったんだねえと声をかけたい気持ちになった」

押し入れに詰まっていた荷物は

思い出したくない辛い記憶をともなう品々。

だからこれまで目を背けてきたのでしょうが

いざかたづけを始めたら

思いがけなくそういう気持ちになったのです。

録音された自分の声を嫌なものとしてじゃなく聴けたのも

それと同じようなことかもしれません。

時間がたったからかな。

年齢を重ねたから?

だとしたら、年を重ねるのも悪くないなー。

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