伊藤一彦歌集『歌の小舟』
<2026年9月17日> 太宰府市で開催される筑紫歌壇賞贈賞式には ほぼ毎年参加しています。 贈賞式後のシンポジウムも毎年楽しみです。 伊藤一彦さんは選考委員であり、 シンポジウムではパネラーをつとめらられます。 その張りのある元気なお声をお聴きするのがとてもうれしい。 なのに、今年は体調不良のため参加をあきらめなければならず、 意気消沈しておりました。 そんなわたしに恩寵のように届いたのが 伊藤一彦さんの最新歌集『歌の小舟』です(第17歌集!) ( 短歌研究社 2026年8月16日発行 3,000円+税 ) 帯に「寿命があれば、もっと老いたい。短歌を杖として。」とあります。 これはあとがきにあることばで、とてもこころにしみます。 歌集の掉尾に置かれた連作のタイトルが「歌の小舟」。 そのなかに次の1首があります。 歌といふあの世とこの世出入りする小舟 運ぶは韻律の波 こちらの歌集を拝読して 一陣の風が吹き抜けるような、 自分の中に広々とした世界が広がるような そんな心持ちがしました。 拝読すると、広々とした気持ちになれるのです。 時には神々や自然
夢二忌と白蓮さん
<2026年9月16日> 今日は竹久夢二の誕生日ですね。 夢二の美術館は夢二ゆかりの各地にあります。 そちらに加えて、 全国でしばしば夢二の展覧会が開かれていますね。 そして、来月、10月23日からは東京国立近代美術館で 「竹久夢二 時代を創る表現者」展が開幕します。 私の地元・飯塚市ゆかりの歌人・柳原白蓮は 第1歌集の『踏絵』をはじめ 飯塚時代に出版した3冊の歌集・詩歌集の装幀を 夢二がおこなったことから 飯塚の伊藤家を出奔(いわゆる白蓮事件)した後も 生涯にわたって竹久夢二と交流があったようです。 夢二の命日は9月1日。 1934(昭和9)年に49歳で亡くなった後、 命日には雑司ヶ谷霊園で夢二忌がおこなわれていたそうです。 白蓮さんはそちらにも参列していたとのこと。 白蓮さんの最終歌集『地平線』(1956・昭和31年)の掉尾の1首は 夢二忌に寄せて詠んだうたです。 今月のいいづか短歌サロン(9月26日)のテーマは 「柳原白蓮のうた(2)」。 白蓮さんの後半生(飯塚の伊藤家出奔後)のうたを ごいっしょに読みます。 この『地平線』の初版本もお持ち
戯曲「熱海殺人事件」
<2026年9月15日> 長崎に進学した年の秋に 演劇部(=3校合同の学生劇団)で初舞台を踏んで。 さあ、秋の公演が終わればすぐに翌年春の公演に向けて始動です。 まず、次回公演で何をやるか、演目を決めるために 団員がそれぞれ戯曲を持ち寄ります。 (演劇のことを何も知らないまま劇団員になった私も 本屋さんや図書館で戯曲集を何冊か読んで とにもかくにも選んだ作品を持っていきました) そうして集まった戯曲のひとつが つかこうへいの「熱海殺人事件」。 次回公演はこちらを上演することに決まりました。 劇団の先輩のなかにつかさんと同じ高校出身のかたがいらして そのかたが、つかさんやそのかたと同じように筑豊で生まれ育った私に つかさんのことを熱心に教えてくれました。 つかさんのこと、つかさんの舞台が東京でたいへんな人気であることを そのときに初めて知りました。
演劇部は体育会系!
<2026年9月14日> 演劇のことを何も知らないまま、ひょんなことから演劇部に入った私。 その演劇部は長崎市内の3校で学生劇団を作っていたので 演劇部員=劇団員。 稽古は3校のうちの1校の教室でおこなっていました。 学校の講義が終わると毎日バスで片道40分かけてその大学へ。 稽古場で発声練習や演技指導を受ける… そうした演劇らしい稽古の前に 新入部員がやる(やらされる)ことは その大学のまわりをランニングする! その後は、大学の長ーい坂道でのダッシュ!何本も! そして、これでもかと先輩たちに背中を押されながらの柔軟体操!! その痛みになんとか耐えているつもりでしたが もともと体の硬い私。 そのハードな柔軟体操に体が悲鳴を上げたようで あるとき、鳴滝寮の浴室の脱衣所で発見したものは 両腿に出現した真っ黒な内出血・・・。 連日の稽古が終わって鳴滝寮に帰り着くのは21時ごろ。 同室の仲間がとっておいてくれている夕食はすっかり冷めています。 そんな怒涛の劇団ライフは秋の公演に向けて夏合宿に突入! 新入部員ながら秋の公演では役者として舞台に立つので 先輩
演劇の道へ
<2026年9月13日> 飯塚市の高校では郷土部に所属していました。 9月の文化祭で竹原古墳(地元・筑豊にある装飾古墳)の実物大模型を展示したり。 (その模型を作るために、夏休みは日曜日とお盆以外、毎日学校へ。 Tシャツにジャージー姿でひたすら作業してました…) 筑豊の遺跡の発掘や古墳・遺跡めぐりをしたりした思い出があります。 でも、実は当時、古墳に関心があったわけではなくて。 入学直後の部活見学で郷土部にも行ったら 和気あいあいとしていてとても楽しそうで、 お話を聞いていると私も楽しかったので、それで入ったんです。 (今は古墳や古代史にとても関心があります🌸) その後、長崎に進学してまもないころ、 新しい友人と演劇部の公演を観に行きました。 (演劇部は長崎市内の3校で学生劇団を作っていました) すると、なぜか公演の裏方を友人と手伝うことになり。 カーテンコールのとき、 手伝ってくれたからと私たちも舞台に出るように促され。 戸惑いつつも劇団のかたがたのはしっこのほうに並ぶと、 なぜか私と友人は新入団員として観客に紹介され…。 かくして私は演劇
「ひよっこ」の乙女寮、私たちの鳴滝寮
<2026年9月12日> 先月から朝ドラ「ひよっこ」(2017年)の再放送が始まりました。 9年前も楽しみに見ていたので、うれしい♪ 今週はみね子たちが集団就職で上京。 向島電機の「乙女寮」での生活が始まりました。 時代設定は昭和40年。 「ひよっこ」のなかで乙女寮が描かれるところが一番楽しみです。 なぜかというと、 私が長崎での学生時代に過ごした「鳴滝寮」を彷彿とさせるから。 わが母校と鳴滝寮はシーボルトの鳴滝塾跡のある長崎市鳴滝町にありました。 (現在は、母校は長崎市郊外に移転して 4年制の長崎県立大学シーボルト校となっています) 鳴滝寮で過ごしたのは みね子たちの乙女寮とは時代が違うのですが(もっと後の時代ですが) 鳴滝寮での生活は昭和30年代と同じだったんです…! 当直のときに、当直室でたまたま昭和30年代の当直日誌をみつけて 読んでみたら当時の私たちと同じ規則で 私たちが感じていたのと同じ要望が書かれていました。 木造2階建て、有刺鉄線で囲まれた鳴滝寮の生活とは、 たとえば… ・お部屋は4人部屋、または6人部屋 (「ひよっこ」では6人部
朝井リョウさんの校正
<2026年9月11日> 今朝の「あさイチ」に作家の朝井リョウさんがご出演。 さまざまな興味深いお話をされていました。 そのなかでわたしにもっとも響いたのは (-たぶん大半のかたとは違うところ-) 執筆した作品の推敲と校正・校閲のお話。 推敲や著者校正の際、どうやって赤ペン(修正)を書きこむか、 校閲のかたがどんなことを書きこまれるかを 動画をまじえてわかりやすく説明して 「こんなこと(漢数字とアルファベット数字の統一)も書き込んでくださるので 校閲さんはほんとうにありがたいです」 という旨のお話をなさっていました。 もともと、感じのよいかたという印象をもっていましたが ここで朝井さんへの好感度が200%上がりました! 朝井リョウさんと私自身を同列に語るつもりは毛頭なく、 またそんなことはできもしないのですが 私も推敲や校正・校閲は仕事に深くかかわっていて また、校正と校閲は受ける側とおこなう側、 両方の立場です。 受ける側としては、 書籍出版や雑誌への寄稿の折に出版社のかたから。 おこなう側としては、自らの原稿の著者校正のほか、 依頼を受けて自
すっきりしたくて
<2026年9月10日> 体調は少しずつ回復してきていますが (ほぼ毎年参加してきた筑紫歌壇賞贈賞式(9/6)の参加を 今年は取りやめざるを得ず、とても残念でした(泣)) すっきりしない。 気持ちが。 すっきりした気持ちになりたくて室内を見まわすと、 目に留まるのはリビングの上の資料。 日頃、リビングのテーブルの上には (好きな小物を飾っている他は) 何も置かないようにしているのですが (そのときに必要な資料や書籍は置くけど ひと区切りついたら元の場所に戻す) いつの間にかテーブルの隅に小さな山ができていて。 気にはなっていたけれど、 そのときそのときにしなければならないことばかり考えて この小山は見て見ぬふりをしていたんです。 そこで、この小山をかたづけることしました。 仕事の資料。社会保険の通知。 とっておきたい切り抜き。 すっきりした気持ちになりたい一念で整理しました。 テーブルの上が平らになったー! すっきり!! 思ったより時間がかかったので これからは山をつくらないように、 いえ、その前に、紙類の一時置き場にしないように気をつけよう
【配信】馬場あき子先生のお話、ラジオで。
<2026年9月9日> 本日早朝、NHKラジオAMの「ラジオ深夜便」で 馬場あき子先生のお話が放送されました。 タイトルは 「歌人 馬場あき子 98歳 戦争体験を語る」。 私は朝一番に「らじるらじる」の配信で拝聴したところです。 女学校時代に学徒動員のため中島飛行場で働いたことや 玉音放送を聞いた日のことなど。 ひとつひとつのエピソードが忘れてはならないこと。 そして、今回、馬場先生のお声でそうしたお話をうかがえる。 そのことがかえがたいことだと感じます。 放送後、1週間配信されます。 また、馬場先生のお話は今回が前編。 来週に後編が放送される予定です。 後編では短歌のお話が中心になるようです。
初版本-柳原白蓮最終歌集
<2026年9月8日> 今月のいいづか短歌サロンは26日(土)におこないます。 (毎月第4土曜日に開催) テーマは「柳原白蓮のうた(2)」。 前回(白蓮さんの前半生のうた-飯塚の伊藤家出奔まで―)に続いて 後半生のうたを、歌集に沿ってごいっしょに読んでいきます。 白蓮さんの最後となった歌集『地平線』が手元にありますので お持ちしてご覧いただこうと存じます。 手持ちの白蓮さんの第1歌集『踏絵』は復刻版ですが この最終歌集は初版本。 1956(昭和31)年の刊行です。 今からちょうど70年前ですね。 表紙の「地平線 白蓮」は作者の自筆だそうです。 奥付には発行所としてことたま社の名前がみえます。 (白蓮さんは1935(昭和10)年に歌誌「ことたま」(ことたま社)を創刊) 価格は200円。 私にとってとてもたいせつな歌集です。 2冊持っていて、どちらも背表紙が少し傷んでいますが その他はおおむねきれいな状態。 白蓮さんの短歌というと 炭坑王・伊藤伝衛門の妻としての飯塚時代のうたに スポットライトがあたることがほとんどです。 伊藤家を出奔後、宮崎龍介と結
