遠賀川と白蓮さん
遠賀川小暗き中に銀色の光りは長く夜は明け初めぬ 遠賀川は飯塚市内を流れる川です。 炭坑で栄えた時代には石炭を運ぶ船が通っていました。 飯塚の伊藤家を出奔後、白蓮さんは九州時代の十年を振り返って 川に身を投げようと思ったこともあったと述べています。...
『紫の梅』④-看病する白蓮さん
世にいう「白蓮事件」から二年後、関東大震災をきっかけとして ようやく白蓮さんは宮崎家で夫の龍介と愛息の香織、姑の槌子と暮らし始めます。 その頃龍介は結核で臥せっていました。 そのため白蓮さんは文筆で経済的に一家を支えました。 家事と育児は姑に担当してもらったといいます...
短歌サロンを初めて開きました
素晴らしいお天気に恵まれて、本日、短歌サロンの第一回を開催しました。 テーマは「青葉若葉のうた」です。 まず、ご参加の皆さまをお迎えするにあたって 会場の和室には事前に初夏にふさわしいお香を焚きました。 そして、与謝野晶子の詩「五月礼賛」を朗読しました。...
別府のあかがね御殿、「白蓮の間」から
大分県の別府にあかがね(銅)御殿と呼ばれた伊藤藤伝右衛門家の別荘 が 建てられたのは1916(大正5)年のことです。 現在は建物は残っていませんが、このほど別府市がその図面を復元しました。 こちらには白蓮さんも年に数回滞在したといいます。...
『紫の梅』③-はらからと白蓮さん
歌集『紫の梅』には関東大震災を詠んだ「大禍日」二十八首が収められています。 その中に「はらから」が出てくるうたが数首あります。 はらからはわが名を呼ばず火に追はれ二日三よさを野にふせる日も 柳原白蓮 白蓮さんは1885(明治18)年、柳原前光伯爵と士族の娘で芸者をしていた...
若葉のうたと白蓮さん
師の君の来ますむかふと八木山の峠の若葉さみどりのして 柳原白蓮 飯塚市内には白蓮さんの歌碑が三カ所にあり、 この歌は嘉穂劇場近くの河川敷に建つ碑のうたです。 師は歌の師、「心の花」主宰の佐々木信綱でしょうか。 その師が九州にいらっしゃるというので八木山峠を越えて...
1980年代前半、書店での出会い
私が柳原白蓮という名前を知ったのは、飯塚市の老舗、元野木書店で ある本に出会った時だった。 何か良い本はないかと一番左側の出入り口に最も近い書架に並んだ書籍の 背表紙を順に眺めていて、目線より上の棚にあった『恋の華・白蓮事件』に...
『紫の梅』②-関東大震災と白蓮さん
九州は飯塚の伊藤家にいた時代に出した初めての歌集『踏絵』や 戦死した息子・香織への挽歌が収められた最終歌集『地平線』ほどには 世に知られていないと思いますが、『紫の梅』は注目すべき歌集です。 1925(大正14)年に出版された『紫の梅』には、幼いわが子を詠んだうたや...
『紫の梅』①-柳原白蓮のうた
あるかたのご厚意により、飯塚市ゆかりの歌人、柳原白蓮の歌集『紫の梅』の 初版本を拝読する機会に恵まれました。 大正時代の貴重な初版本で白蓮さんの歌を読めたことはほんとうに幸いでした。 柳原白蓮(地元では白蓮さんと呼ばれます)については ご説明するまでもないでしょう。...